6月の終わり

6月が終わった

 

いつのまにか

終わっていた

 

ともかくもいつものように

1ヶ月を振り返りたい.

 

 

6月をひと言で表すならば

奔走

という言葉が最も適しているのではなかろうか

 

 

世間は未だ緊急事態宣言が開けず

殆どの日々を自宅と

たまに職場で過ごしているようなもので

 

日々に彩りや面白みというものを

見出せるだけの気力や気迫に欠けていた.

 

 

その中で

日常の大半を占める仕事によって

不安にされ

不安と葛藤しながら戦っていた中で

 

いつのまにか1ヶ月が終わってしまったような.

 

 

 

久しぶりに

眠れない日々を味わい

 

体と心のバランスを

考えるさせられる瞬間もあった.

 

 

奔走した.

 

 

 

6月の半ばに抱いた危機感は

今も胸の中にある

 

 

1日24時間を等しく過ごしていく中で

 

自分は自分の人生を生きる時間を

自ら削っているのではないか

 

 

自分の生活

自分のための時間

 

そうしたものを作り出す能力に欠けていて

コンテンツの餌食となり

 

自らを知る手立てを放棄した

 

そんな日々を過ごしてしまったからこそ

振り返って今

自ら地面を踏みしめた記憶が

どこか欠落しているように感じる.

 

 

 

ただ

自分が何を求めて生活するのか

その一端を改めて

感じられる瞬間もあり

 

それが今

生活の希望となっている.

 

 

バランスを取り

自分自身を支えて行くこと

 

 

自らの感性に敏感になり

行動を躊躇わず

求むべきものを求めながら

 

それでも慎ましやかに生きる.

 

 

7月は

少しずつ自分の時間の空隙を見つけて

自らの感性に餌を与える瞬間を増やしたい.

 

 

変わらず身体を大切にしながら

そして心を大切に

 

感性が求めるものを知ること.