生のエネルギー

4連休の3日目

 

ここのところずっとずっと

蒸し暑く日差しの強い日々が続いていて

今年も猛暑の予感がする

 

外を歩いているだけで

汗が止まらなくなってくるから

気がつくと

家に引き篭もりがちになってしまう.

 

 

最近は在宅勤務の日が殆どで

週末にも

大してすることが見出せなくて

 

小説を読んだりゲームをしたり

そこはかとなく

自分を意識することから

逃げ続けていたような日々だった.

 

 

十全な時間を持っているにも関わらず

何とかして

やり過ごそうと躍起になっているみたいに

 

何も生まないものたちを

ただ眺め続けるばかりだった.

 

 

そんな風にしているから

ブログを書く気力も湧かず

人に話すような内面の驚きもなく

ただ暑さに茹だるばかり.

 

 

 

 

それでも今日は

いつもと少し違う1日.

 

ミュージカルを観劇してきて

劇場という

隔絶された空間に過ごしていたおかげで

 

何だか矛盾するようだけれど

物思いに耽る時間を

ようやく得ることができたように思う.

 

 

 

ミュージカルを観ている時

人は何を考えて

或いは考えていないのだろう.

 

いつか

誰かに聞いてみたい.

 

 

僕はミュージカルを観ることが好きだ

大学の学問として出会い

今では日々を構成する大切な趣味となっている

 

 

けれど劇を鑑賞している時

その劇空間やストーリー或いは演技や歌声に

没頭したような経験がない.

 

むしろ劇を見ている時こそ

いつも以上に頭がフル回転をしていて

 

考え方があっちに行ったりこっちに行ったり

 

それは作品に見出した

気づきについて考察していたり

舞台上の演技や歌声に感心していたり

ふと自分の人生について

物思いを深めていたりするのだけれど

 

何故だかそれを止めることだけは

どうしたってできないでいる.

 

 

傍目から観れば

舞台上に心を奪われているように見える隣席の人たちもまた

内実では同じように

頭が回転し続ける自らと目の前の舞台とを俯瞰しながら

座り続けているのだろうか.

 

 

劇場内では

外からの声は聞こえない

 

場外の音は全て遮断されていて

電子機器も電源をオフにしなければならず

暗い座席に座っていると

 

ステージと

席に座っている自分

 

認知できるのはこれらだけになる

 

だからこそ

意識はこの2つの間を行き来する.

 

 

 

劇場に来ると

なんだか落ち着いた気持ちになる

 

日常から

隔絶されたような満足感がある

 

舞台を観に来ているようでいて

加えて

非日常的な自分だけの空間を

そこに求めているのだと思う.

 

 

だからこそ

意識は舞台と自分を行き来して

それでなお

余韻を楽しんで帰路に着く.

 

 

 

大袈裟な考えなのかもしれないけれど

 

今日これから幕が上がるというときに

自分はこの瞬間に死ぬのだとしたら

きっと満足だろうと思った.

 

 

劇場にいて

自分だけの空間に座していながら

幕が上がり

繰り広げられる舞台に胸を躍らせている

 

これほど充実した瞬間があるのだろうかと.

 

 

 

舞台を観ているとき

俳優たちを観ていていつも

この人たちは人生を生きている

と思う.

 

 

歌い踊り演じ表現しているその人たちは

エネルギーを発散している

 

生きることは叫ぶことであり

表現することが生きることであるように思える.

 

 

 

先週はオダサクの作品集を読んでいた.

 

戦乱に荒れる昭和の大阪を描いた文豪

織田作之助.

 

 

彼の作品を読んでいて

昭和の大阪の人々は

人生を生きていたのだと思った.

 

 

道ゆく人を呼び込んで

ものを売り生計を立て

他者の世話をし他者の世話になり生きている

 

その情景に惹きつけられたのは

生きる彼らの活気や苦悩や葛藤が

文字を通してエネルギーとなって

心に伝わってきたからなのではないだろうか.

 

 

 

安吾は生きる自らを描いた

オダサクは生きる人々を描いた

 

この2人の文章から発される

生きるエネルギーのようなものに

僕はいつも惹きつけられている.

 

 

 

そして自らを思えば

きっと今

死んで残る悔いなどないだろう

 

それはときに物悲しくもあり

ときに単調で当たり前の事実でしかない.

 

 

それでもなお

こうして劇場空間を求め続け

そして安吾とオダサクの文章を読む自分は

生きるエネルギーに魅せられている.

 

そしてこれからも

さながら夏の虫たちのように

彼らの生に吸い寄せられていくことだろう

 

 

願わくば

いつの日か

自らの生を何処かに見出せることを.

 

 

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