我以外皆我師

4日間のひとり旅から帰ってきた

 

自宅の駅を降り、いつもの風景を目にして、とても長い間家を空けていたような気がした

たった4日間、2-3時間ほどで行き来できるような地域を旅行しただけだったのだが。

 

4日間が長いと感じたのは、睡眠時間が少なくて、そもそも物理的に経験した時間が長かったこともあるだろう

 

だけど何より、1日の中でたくさんのことをしようとして、数時間単位で風景が変わる日々を過ごせたことが、長い体感時間に繋がったに違いない。

 

今回たくさんの場所を周り、色々な風景を見た

都市、古都、農村、山頂、海辺とあらゆる地形を歩いた

地元グルメを食べ、歩き疲れると茶屋でぜんざいを食べた

 

春休みという時間の縛りのない生活を目一杯実感できるような日々だった。

 

ただひとつ後悔があるとすれば、それはたくさんの物事に対して、見切りをつけるのが早過ぎたのではないかということ

 

神社の山頂の拝殿に至っても、何をするでもなくそそくさと下山してしまったり、古い街並みの残る街道を訪れても特にすることを見つけられずに通り抜けてしまったり

来てはみたものの大したことをしていないケースが多々ある。

 

しかし最終日に美術館を訪れたとき、これはとても勿体無いことをしていたのだと気がついた

 

自分はいつも美術館に行くと、何となく全ての展示を見て回るのだけど、結局その行為に何の意味も見出すことができないでいる

 

ただ、今回はせっかくならと音声ガイドを付けて展示を廻ってみたら、いつも何をすればよくわからなかった美術館が、途端に学びの館になった。

 

 

そもそも旅をすることの目的は、移動しいつもと異なる風景、文化、人々に触れ合う中で、自らの価値観や知識の多様性を広げることにあるはず

 

ガイドマップになっているからと何となく名所を訪れ写真を撮るだけでは、その目的を果たすことはできない

 

そしてそもそも自分の興味に対して明確に行動をするのであれば、それは旅である必要もない。

 

結局のところ、旅をする上で大切なのは、そこで出会ったモノに対して、興味があるかどうかや、楽しめるかどうかといった直感的な判断ではなく、全てを学ぶ機会と捉えて、普段眼にしないような物事について考えてみる体験なのだ

 

心のバイアスを排除して、知識を深め、教養を広げる機会としてひとり旅を捉えることができれば、きっとそれは何より有意義な時間の使い方になるだろう

 

眼にする全ての物事は学ぶことができるモノであり、幅広い教養を身につけることこそが喜び

 

そんな心持ちで、まだ続く春休みを過ごしていきたいものだ。