散々なひと月の始め方

もう10月になっている

 

振り向いても何も捉えられるものがないほどに

あっという間に時間が経っている.

 

朝起きて

寒さに震える季節の訪れ

 

しかし2020年の10月は

散々な始まり方を僕に用意していた.

 

 

10月1日の夜

 

ししとうを飲み込んだ直後から

吐き気や腹痛が止まることなく

ひたすら悶絶しながら眠りにつくことだけを冀う時間に耐えていた

 

こんなに苦しい事柄は

もう思い出せる限り存在していなかったから

まず間違いなく

過去の数ヶ月で最も散々な始まり方だったと言える

 

しかしそれはともかく

 

始まりとともに1ヶ月が終わったということだから

いつものように振り返りをしてみたい.

 

 

9月は8月の絶望をもとにして始まった

 

8月という青く輝くフレーズとは裏腹に

全くもって思い出のない日々を過ごしていたからだ.

 

 

9月は自分のやりたいことを見据えて

それを達成するために生きようと思った

 

 

一応リストにやってみたいことを書き記していたわけだけれど

結局のその1/3ほどは終わなかった

 

それらのうちのいくつかは

単純に時間がかかりすぎるものだったし

それらのうちのいくつかは

単純に再び行いたいという思いにならなかったからだ.

 

 

それでも

サービスをローンチした周りの環境の変化

月の半ばの実家への帰省

ミニマルな生活への切り替え

 

こうした物事は

少しだけかもしれないけれど

僕の9月を

8月よりは出色したものにしてくれていたように思う.

 

 

いつのまにか

いつも大量に終わっていないことが存在していて

終わっていないことが当たり前になっている

 

心の余裕を持つことが難しい

空っぽにする時間が持てないことを悲観してしまう

 

取り零すことが増えている.

 

そんな日々の中で

 

故郷に戻って暮らしたゆっくりの時間は

僕の心の根差す土壌を

鮮やかに思い出させてくれた.

 

生きたい世界にはきっと

ありすぎるものが何もなくて

視界が開けていて

大きく伸びをすることができて

 

それでいて

何事にも圧迫されない日々が待ち受けているのだろう.

 

 

それが感じられるように出歩いてみたり

少しでもそれに近づける早朝に活動することを始めたり

家の中から余計なものを排除してみたり

 

こうした9月の変化は

その郷愁に深く深く根ざしたものである.

 

もちろん

責任を逃れて自由に暮らすことは

過多な望みであると承知の上だけど

 

そうした自由を手に入れるためならば

強くなろうと志せる気がした.

 

 

10月は

余計なもののない

この部屋の狭い世界を抜け出して

外の世界を見に行こう

 

自由を遊べるだけの力を持つことが

今の大きな願いであるから.

 

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