文脈と再構築

ここのところ

脱リュックサックを進めていたけれど

 

この2日間

リュックを背負って歩き回っていて

背中と首が痛くて仕方ない

 

姿勢を良くするために

整体に通い始めたはよいものの

 

普段から

荷物をできる限り軽くして

行動できるようにならないといけない

 

アフガニスタンでの経験が

私を身軽な旅ができる人にしてくれた

ドクターワトスンが述べているように.

 

 

今月は3つのミュージカルを

劇場で観劇する幸運に恵まれた

 

劇場にでも出かけなければ

まるで引きこもりのような生活だったから

 

反対にいえばミュージカルは

自分が家を出るに十分な動機となる娯楽なのだということだろう.

 

クロスに囲まれたたったひと部屋

必要性を後から後から引っ付けたような空間を出たその先には

 

20世紀ロンドンの普通の家族の日常や

怪しい19世紀のパリオペラ座

世紀末のニューヨークの芸術家たちの現実が広がっていて

自らの

想像力の棲家を拡張してくれる.

 

 

舞台を観ているとよく考える

 

果たして自分の生活とは

一体何だというのだろう

 

確固たる意志もなく

反逆すべき重圧もなく 

苦楽を共にする仲間もなく

 

気がつけば

ただ時が流れているのを眺めている.

 

舞台の上の人々は

必ず何かに反抗しているように思う

 

男性らしさを押し付ける父親や

日々身を蝕む後天性免疫不全症候群

幼い頃の厳格な躾や

美しさと愛されることを奪い去る他者

 

そうした外圧に

苦しみ争い生き抜くことを通じて

彼らは自己を確立し

そして未来に歩みを進める.

 

外圧に屈することなく

自分らしく生きること

 

恐らくこれは舞台の上の話ばかりではなくて

我々若者が

幼い頃より受けてきた呪いのようなものだ.

 

 

あまりに簡単に自己と他者を識別し

外敵を定義できるプロタゴニストたちを観ると

 

感動を伴って心に染み入った問いかけが

裏腹に

まるで行き先を見つけられず

ただ血管をぐるぐると巡り続けているような思いになる.

 

共感した理想像を保持したまま
抽象的なメッセージを咀嚼し
自らの人生の文脈における反逆が

何を意味するのかを解釈すること

鑑賞における感性のあり方は

ただ感動して涙を流したり

ただ怒りを共にすることだけを指すのではなく

 

フィクションは

畢竟抽象的な理想郷でしかないものを

新しい文脈に対して

再構築する態度と能力を指すのではないか.

 

 

全ての作品を

等しく崇め奉ることは

 

マスプロダクションに反抗し

芸術の在り方を探究し続けた

オフのクリエイターに対する冒涜でもあろうし

 

一方で

多くの人と時間と金を費やした作品にも

払うべき敬意が存在する筈.

 

イデオロギーの波の中で

肯定される他者と否定される少数者がいる

 

どんな時代になったとしても

この構図だけは変わらない

 

まずはその波の中に自らを見つめて

自分が突き詰めたいものと

自分が反逆したいものを見極めること

 

鑑賞体験を

自らの人生という文脈に再構築すること

 

そうやって考えることを止めることなく

少しは生活ができるとまた

少しはより善い生活につながるのではと信じてみる.

 

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