脱却と奪還

とても心地の良い天気の日曜だ

 

シューズを履いてリュックを持ち出し

芝生を駆け回る予定がないのが残念だけれど

 

それでも今日この1日が

良い天気であることに変わりはないだろう.

 

 

 

 

しばらくブログを書かない日々が続いていた.

 

 

近頃は

自分のことを表すとなったとき

 

言葉が続いていかないことが多い

 

 

誰かと話すときも

日記を書くときも

或いはブログを認めようとするときも.

 

 

書くことに

時間を費やさなくなってしまった代わりに

 

漫然と画面を眺めている時間が増えた

 

 

特にすることがないときだけではなくて

食事をしているときや何かを書いているときも

 

なんとなく映像を流していなければ

間が持たないような気がしてしまって

 

いつも映像を

傍目に入れているように思う.

 

 

 

こうした生活をしていると

自分について書き表すという行為が如実に

難しいものになっていく.

 

 

 

画面から離れていかなければと思う.

 

 

 

アマゾンプライムYouTube

便利な映像媒体をオンにして

 

なんとなく作品を流し見ている時間

 

 

これが増えれば増えるほど

自分の人生を生きる時間が短くなる.

 

 

フィクションの魅力は

他人の人生を生きられることだから

 

小説を読んでいる時にも同じように

自分はまた

他人の人生を覗き見ているだけなのかと思うこともある.

 

 

しかし小説を読む時

読み手は自らの想像力を総動員し

物語を紡ぎ直している.

 

 

 

映像は

僕らの生活の至る所に

ひっそりと忍び込んでくる

 

食事中や入浴中

就寝前や誰かと話している時だって

 

映像はそこに存在することができ

だからこそ

無いことが淋しくなってくる.

 

 

そうした中毒性は

小説とは異なるものだ.

 

 

 

 

映像は

需要者の能動性を必要としないからこそ

人生の至る所に侵入し

自分の人生を生きる時間を消費させる.

 

 

 

今こそ映像から脱却して

自分の人生を取り戻さねば.

 

 

 

しかしいつからこんなにも

映像を貼り付けたような生活を

送るようになったのだろう

 

 

思えばこの春社会人になってから

この傾向が加速したように思う.

 

1日の時間の構成が変化して

人との関係性が 

学生時代とは大きく変容した中で

 

ある種の孤独感を紛らわすため

映像に逃避を見出していたのかもしれない

 

ひとりでいる自分という存在を

発見しないでいるための.

 

 

しかしそのようにして映像を

受動的に

貼り付けているような生活を送っていては

 

自分の人生を

生きる時間が短くなる.

 

 

だからこそ

ただ自らの心だけを

見つめる時間を創り出していかなければ.

 

 

 

自らの心を

眺める時間を費やすことで

自らを知り

より理解することができる

 

そうやって

心の余裕が生まれてくる

 

書けないことが

書けるようになってくる.

 

 

 

 

他人の人生を

受動的に侍らせることを辞めて

 

自分の人生を取り戻す.

 

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