楽しい生活を

ゴールデンウィーク最終日

 

今年のゴールデンウイークは最大10連休だったらしい

海外旅行をする友人のストーリーに旅行欲を掻き立てられる日々だった

 

僕は新しい街に越してきたばかり

前半は引越しの後始末に追われていたが、仕事を挟んで後半の4連休は、新しい街の娯楽に身を任せ、自分を楽しませるための時間の使い方ができた。

 

休日となると、いまいち何をしていいのかわからなくなってしまうことが多かった

それでなんとなくいつものようにジムに行ったり勉強をしたり本を読んだりしていると、結局毎日同じような生活を送ってしまう

 

悪い時間の使い方ではないけれど、より良い時間の使い方はそこら中に幾らでもあるだろう

 

それに長い春休みの中で自分の欲を満たすことの大切さを知ったから、この4連休は勢いに任せて自分の興味に係る娯楽に飛び込んでみた

 

舞台を見に行ったり、おしゃれな図書館に行ったり、サッカーを観戦したり

 

そうしてすごく楽しい4日間になった。

 

 

自分は案外多趣味なのかもしれない

 

小学生の頃から好きで居続けているサッカー

大学での勉強を機に出会ったミュージカルや舞台の観劇

それから読書、散歩、アニメの鑑賞、RPG、勉強、相撲観戦などなど

 

あまり深く考えず、自分が楽しいと思えること、自分がやってみたいことを羅列する時間を定期的に取ってみることにしよう

 

きっともっとたくさん見つかる。

 

 

新しい街に来た

 

そして舞台を当日券で観れてしまうほど娯楽に溢れたこの新しい街では、欲求と勢いを適切に駆動することができれば、幾分と楽しい生活を送ることができるはず

 

内に籠ることなく、人付き合いから逃げず、興味関心を外に広げていくこと

 

楽しい生活を送ろう。

次の街へ

思い返すと2024年の4月はKing's Crossから始まった

 

その日は過ごしやすい曇りの1日で、ハリポタファンの僕は9 3/4番線に興奮し、歴史あるロンドンの図書館を見物したのち、寿司弁当を食べてからパリに向かう電車に乗り込んだのだった。

 

パリでは翌日からの2日間を丸々観光に費やし、行きたかったランドマークは全て見て回ることができた

 

懐かしい友人とも会い、人の縁の大切さを感じ、やはり人生は移動と出会いで構成されているのだという考えを確たるものとした。

 

 

この3月と4月は仕事を休み、大学を卒業してから初めての長期休暇を取っていた

 

大学時代はコロナの影響で卒業旅行もできず、また正式就職前からインターンとして働いていたから、その時の春休みを今になって取り戻したような気分だった。

 

今回の春休みを振り返ってみると、たっぷりと時間があるようでいて、やるべきことも幾らかあり、流されるように時を過ごした日々だったと言える

 

2度の大きな旅行をした

1度目は瀬戸内海と四国を回り、2度目はロンドンとパリに行った

 

引越しをする必要もあり、何度も新しい街を訪れなければならなかった

物件を見て回り、契約、荷造り、荷解きと、やはり引越しは多大なる労力を必要とするものだと再確認した

 

自分の知識を広げたくて、検定試験を受験した

3月の初めはその勉強にほとんどの時間を費やした

 

ただそんなイベントの多い日々の中でも、帰省をしたり、親族を訪ねたり、友人と会ったり、楽しく過ごせた時間は嬉しかった。

 

 

それは移動の多い2ヶ月間だった

移動が多いからこそ、たくさんの人や街と出会い、自分がどう生きていきたいのかを考え直す時間になった

 

 

ロンドンでの生活はまるで夢のようなものだった 

どこにいても見渡すだけで口角の上がるような"あの"街並みと空気感

すっと夢見ていた街で、現地の方の部屋を間借りすることで、ロンドンに住む生活を体験できたような気がした

 

小学生の時から憧れていたヒーロー、シャーロックホームズの館を訪れたり、劇場でミュージカルを観て学生の頃の念願を果たしたり、人生の喜怒哀楽を共にしてきたフットボールクラブの試合を生で観戦したり

 

こんなに幸せな1週間はまたとないだろう

たくさんの夢を叶えた滞在だった。

 

 

僕はこれまで純粋に自分の楽しみのために時間や金を費やすことをしてこなかった

 

なんとなく日々優秀であるために生き、より改善された自分のために生活していたけれど、それが果たしてどこに向かうのかを見出せていなかった

 

しかしこの春休みの2ヶ月間、さまざまな経験をする中で、自分は何のために生きるのか、何のために仕事をし、金を稼ぎ、自分を改善し、歳をとっていくのか

その目的のひとつを理解することができた

 

僕は感動するために生きるのだ

 

夢を夢で終わらせないこと

大きな夢も、小さな夢も、日々生活する中で、叶えてみたい欲望の対象に出会うことがある

 

そんな夢を叶えた時の喜びは一入

感動に心を振るわせ、幸せな気持ちで体が満たされる

 

そんな瞬間をたくさん経験するために生きるのだ

 

 

夢を夢で終わらせないと

ひとつひとつの夢を叶え、そして次の夢に対する欲を宿しながら生きていきたい。

 

そのためには、まずは移動して人と出会うこと

そして身構えずいろんなことを経験してみて、新しい欲を獲得すること

 

経験の範囲でしか欲を持つことはできない

そして得られる経験の範囲は移動距離と関わる人の量で規定されるものだから

 

狭い生息圏に閉じ籠らないこと

フィルターバブルに囚われないこと。

 

 

4月は"またね"の多い季節だった

離れていても繋がっている、けれど地理的に離れることはやはり関係が離れることなのだ

 

一緒に過ごしてくれた人たちの温かさ、その人たちとの交流がいかに自分を支えてくれていたのかを今になって実感する

 

しかし変化は止められず、7年間過ごした街を発つ

大学時代から20代の前半をこの街で過ごした

若者として、かけがえのない思い出を得た

 

そして5月からは新しい街で新しい生活が始まる

 

人生は全くキャンベルの英雄の旅のようだ

或いはRPGをプレイしているかのよう

 

さぁ、次の街へ行こう、RPGの主人公のように

新たな街での新たなクエストを求めて

そうして新しい人々と出会い、自身の経験を広げ、その繰り返しの中で目的を希求することを通じて、感動に満ちたストーリーを完遂するのだ。

 

小休止

ロンドンでの滞在も早いもので折り返し地点

今日は少し街を離れて、Oxfordまで行ってみようと思う

 

小学生の頃から夢見ていた物事が実現されていくこの数日は夢見心地でありながら、蓄積されていく写真や両脚に溜まる疲労感に現実を確認し、幸せな気持ちで日々を過ごしている

 

 

Sherlock Holmes MuseumやWembley Studium, Stamford Biridgeなどを訪れ、子供の頃の自分が見たら、全く羨ましがるような体験を重ねている

 

ロンドンの劇場でミュージカルを観たことは、大学生の頃からの念願だ。

 

 

これまでの自分の生活には、純粋に自分の興味関心趣味のために金と時間を使う習慣があまりなかった

 

しかしこうした時間の使い方は自分の心を満たしてくれる

より楽しく生きるための欲を呼び起こしてくれる

 

広範な移動と新しい経験を積み、残り半分をもっともっと面白おかしく過ごせるように、体調には気を遣いつつ、引き続き旅程を膨らませていこう。

可能性の範疇

日本を経ってから30時間以上

ようやくロンドンに辿り着いた

 

到着日には疲れてそのまま眠ってしまったけれど、今日は1日歩き回り、ロンドンの名所を散策した

 

Waterloo駅を降りて少し歩くと、眼前にBig Benが見えた

どうしたってニヤついてしまう位に幸福な気持ちに満たされた

ロンドンに来たのだ。

 

今日は所謂ロンドン観光の中心地を散策したわけだが、すごく素敵な街だった

ここに住みたいと思った

 

何処に行っても描いていたロンドンそのものの建物が林立していて、歴史と繁栄を感じさせる街並みが広がっている

 

何処を見ても写真に撮りたくなるくらい美しい

 

 

ただ建物ばかりでもなく、中心地にはSt. James ParkやHyde Parkの様な自然の植生に触れられる大きく広い公園があり、心をリフレッシュすることもできる

 

日本とは違い空間的に開けた公園だから、心も広く開放される

 

都市的な生活と伝統的な街並み、広い自然と各所を細かに結ぶ鉄道網

 

こんな所での生活に憧れる。

 

僕は既に5月以降の進路を決定してしまった訳だが、この旅行が先だったのであればきっと選択肢は違ったものになっていただろう

 

そして、人生で初めて金を稼ぎたいと思った

ロンドンに住めるくらいに、それから色々な国へ旅行できる様に

 

自分が思い描くことのできる可能性は、自分が得てきた経験からしか生まれないのだということを改めて確認させられた

 

実際にロンドンを訪れてみて、訪れることができる場所であることを知り、街並みに触れ、憧れを持った

 

自分の中で、ロンドン生活が具体性を伴う可能性の範疇に入った

 

だから欲が出た、そのために金を稼ぎたいと思った。

 

欲を抱くことは悪いことではない

寧ろそれが無ければ何ひとつ感動のない人生になってしまうだろう

 

ただ自分の近頃の時間を振り返ると、あまり具体的で大きな欲を持っていられたことがない

 

自分が興味を持っているか如何に関わらず、まずは移動し、新しい物事に触れ、経験を積むこと

そして可能性の範疇を広げること

 

そうやって欲を持って生活できれば、明確な目的のある日々を送ることができ、時間はより充実した楽しいものになるはず

 

面白おかしい人生を過ごすため、ひとつ心に留めておきたい。

深圳にて

海外旅行が始まった

今日は深圳に到着、空港で一夜を明かして明日ロンドンに立つ予定だ

 

近所の図書館でシャーロックホームズの本を読んだ小学生の時から、ずっと憧れていたロンドン

 

楽しみで仕方がない

計20時間近いフライトも、1つの達成課題でしかないように思えるほど。

 

 

思えば大学生になって以降、幾つもの国を訪れる幸運に恵まれてきたけれど、純粋にプライベートな旅行という目的で海外に行くのは初めてのことである

 

社会人になってから日本を出たのは漏れなく出張の目的であったし、学生の頃は語学留学やボランティアなど、何かしら仰々しいタイトルの付く渡航ばかりだった

 

だからこそ計画にはとても時間がかかったし、全ての物事がうまくいくことを願っている。

 

移動を通じて生息圏を広げ、人と出会い、感じたことを発信し、深く複雑に構造化された教養のある人になること

 

最近心がけたいと思っている生き方を簡単にまとめると、このようになるのではないかと思う

 

今は気にかかることを全て詰め込んだだけ、駄菓子のファミリーパックみたいな状態だけれど、これが今の自分が立ち戻るところである

 

今回の旅行は、この志を体現するかの様に過ごしたい

物理的な移動があり、出会う人は全て初めて出会う人になるはずだから。

 

 

出会う物事全てを楽しみながら、ひとつひとつの経験を自らの血肉とするような日々を。

我以外皆我師

4日間のひとり旅から帰ってきた

 

自宅の駅を降り、いつもの風景を目にして、とても長い間家を空けていたような気がした

たった4日間、2-3時間ほどで行き来できるような地域を旅行しただけだったのだが。

 

4日間が長いと感じたのは、睡眠時間が少なくて、そもそも物理的に経験した時間が長かったこともあるだろう

 

だけど何より、1日の中でたくさんのことをしようとして、数時間単位で風景が変わる日々を過ごせたことが、長い体感時間に繋がったに違いない。

 

今回たくさんの場所を周り、色々な風景を見た

都市、古都、農村、山頂、海辺とあらゆる地形を歩いた

地元グルメを食べ、歩き疲れると茶屋でぜんざいを食べた

 

春休みという時間の縛りのない生活を目一杯実感できるような日々だった。

 

ただひとつ後悔があるとすれば、それはたくさんの物事に対して、見切りをつけるのが早過ぎたのではないかということ

 

神社の山頂の拝殿に至っても、何をするでもなくそそくさと下山してしまったり、古い街並みの残る街道を訪れても特にすることを見つけられずに通り抜けてしまったり

来てはみたものの大したことをしていないケースが多々ある。

 

しかし最終日に美術館を訪れたとき、これはとても勿体無いことをしていたのだと気がついた

 

自分はいつも美術館に行くと、何となく全ての展示を見て回るのだけど、結局その行為に何の意味も見出すことができないでいる

 

ただ、今回はせっかくならと音声ガイドを付けて展示を廻ってみたら、いつも何をすればよくわからなかった美術館が、途端に学びの館になった。

 

 

そもそも旅をすることの目的は、移動しいつもと異なる風景、文化、人々に触れ合う中で、自らの価値観や知識の多様性を広げることにあるはず

 

ガイドマップになっているからと何となく名所を訪れ写真を撮るだけでは、その目的を果たすことはできない

 

そしてそもそも自分の興味に対して明確に行動をするのであれば、それは旅である必要もない。

 

結局のところ、旅をする上で大切なのは、そこで出会ったモノに対して、興味があるかどうかや、楽しめるかどうかといった直感的な判断ではなく、全てを学ぶ機会と捉えて、普段眼にしないような物事について考えてみる体験なのだ

 

心のバイアスを排除して、知識を深め、教養を広げる機会としてひとり旅を捉えることができれば、きっとそれは何より有意義な時間の使い方になるだろう

 

眼にする全ての物事は学ぶことができるモノであり、幅広い教養を身につけることこそが喜び

 

そんな心持ちで、まだ続く春休みを過ごしていきたいものだ。

 

 

香川の温泉

昨日は香川を巡った

四国初上陸、駅員さんに切符をスタンプしてもらわなければいけない駅が多くて、田舎を旅していることに気がつく

 

時刻表を調べること自体が久々だ。

 

この日も変わらず街を歩き続け、目の前の山を登り続けた

 

金刀毘羅宮というところは、まるでホグワーツ城の中を歩いているかのように、ひとつの拝殿に辿り着くたびに次々と更なる石段が現れた

 

頂上にたどり着いた時には、ふくらはぎも腰も痛くて仕方がなかった

 

特に登る目的があったわけではない

誰に報告するでもなく、御朱印やお守りを買うでもなく、ただ石段が続いているから、それを途中で止めてしまうのは忍びなかったというだけ

 

誰にも追い越されることなく、前を歩く人たちを追い抜き続けた

何を考えるでもなく。

 

 

3日間歩き続けてヘロヘロになっていたから、夜は温泉で疲れを癒すことにした

 

素敵な温泉に出会うことができ、心から脱力して湯に浸かっていた。

 

 

ひとりで温泉に入っている時、人々は一体何を思っているのだろう

 

たくさんの人たちが湯に浸かって虚な目をしながら、空を眺めていた中で、僕は特に何も考えていなかった

 

せっかく温泉に浸かり、誰にも邪魔されることのないひとりの時間を過ごしているのだから、ゆっくりと湯船で物想いに耽ることができたらと思ったものの、何ひとつ考えることを見つけられなかった

 

降ってくるもの、浮かんでくるものは何もなかった

 

今、自分には大した悩みはないのだと気がつく

 

学生の頃は、風呂に浸かっている時間や、散歩をしている時

考える対象が尽きることは決してなかった

 

取り組んでいる課外活動や明日の課題について

人間関係や自分自身の在り方について

生きることの意味について

 

それはまるで打ち捨てられた畑の雑草のように

或いは秋の落ち葉のように、

いくら取り出し書き込み保存することを繰り返しても、思い悩む種は永遠に現れるように思えた。

 

 

しかし今はどうだろう

1日20キロ以上を歩いていても、ひとりで田舎の温泉に浸かっていても、深く沈み込むような思索に浸ることはない

 

これから何を食おうかとか、腰を痛めないような歩き姿勢はどんなだろうとか、どこまでも表層の解決策のある問題ばかりが意識を支配して、創造的にモノを考えるということがない。

 

これが歳をとるということなのだろうか

或いは単に怠けて楽を選ぶようになってしまったのか

 

別に24時間365日物想いに沈んでいたいわけではない

10代の頃のように、訳もなく悩みに囚われる続けることを求める必要もない

 

ただ少しでも対極的に物事を捉えること、

自分の頭を使って、緻密で自由で高層的な塔を建てるみたいに物事を再構築することをしなければ、きっと翻弄されるだけで理解のない人生を送ることになってしまう

 

だからこそやはり、小説を読み、移動し続けなければならない

 

例え雨で靴がぐしょ濡れになっても。