区切り

近頃また

家に篭りっぱなしだったから

 

少し気分転換にと

宝塚まで行ってみた

 

特に目的もなかったけれど

ぐるりと一帯を散歩してみて

雰囲気があっていい街だと思った

 

気分がリフレッシュされた.

 

知らない街にふらりと訪れ

ただ歩き回ってみる

 

それがこれまでも自分にとって

ひとつの癒しの方法だったと思い起こされた.

 

 

さて

 

近頃は村上龍の『歌うクジラ』を読んでいる

 

焦らずじっくり読み進めていて

今日にようやく

結部へとたどり着いた.

 

 

その中で

ひとつ印象的だったのは

 

主人公と案内役が

別れを迎えるひと幕のこと

 

案内役の女性によれば

 

この世には

支配も制御もできない

2つのものがあるという

 

取り戻せない時間と

永遠には共存し合えない他者

 

そして人生とは

それを確認することの繰り返しなのだと.

 

この2人の間には

長く密接な関係性があるわけでも

数奇な運命や血の繋がりがあるわけでもない

 

しかしながら

ここに迎えた別れのシーンには

どこかしら胸を打たれるものがあった.

 

 

きっとそれは

これほどまでに決定的な別れの場面を経験することなど

到底できそうにないからではないだろうか.

 

 

自分がこれまで経験した

別れについて思いを馳せると

 

今この瞬間が別れなのだと

線引きできるようなシーンがあっただろうか.

 

 

失われた人たちについて思いを馳せると

 

グラデーションが薄まっていくように

いつの間にか

いなくなっていた人たちで溢れている

 

そこに別れの区切りを

見つけることはできなくて

 

ただ知らないうちに気がつかないうちに

気軽に話しかけられるような存在ではなくなっていた人たち

 

そんな人たちばかりだと思った.

 

 

SNSで繋がっている時代だからと言えばこそ

 

しかしその実

その人たちがただ背景と化していくだけで

 

それはもう失われたことと同義なのではないか.

 

 

 

また何処かで会える可能性があるというなら

それはそれ以上望むべくもないだろう

 

ただ

別れを意識することなく

過ごし続けていることが

不思議な過ごし方のように思えたということ.

 

別れと旅立ちの季節と称される3月に

旅立ちを待つものとして

 

区切りの付け方は最後まで

考え行動し切ろうと思う.

 

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