こんばんは、森川です。
小話をひとつ。
洗剤を切らしていたため、昨日洗剤を買いに行った時の話。
スーパーの洗剤売り場を眺め、比較し、
最終的にエコ精神に目覚めた僕は、
以前使っていた洗剤と同じ銘柄のものがないのにも関わらず、詰め替えパックの洗剤を買いました。
以前のボトルは洗えば使えるかなと。
帰ってみて気がついたことに、
ボトルを廃棄した後でした。
今日、結局ボトルを買いました。
銘柄間違えました。
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余裕のある人間になりたいなという思い。
ひとつの組織で、ある程度中心的な役割を果たしている現状であるが、
そうなると自然色々な人のコミュニケーションについて見聞きし、巻き込まれることになる。
コミュニケーションによって起こるストレスは甚だしいなと思う。
それはまるで月曜日のランドセルのように、
最も抱えたくない類のものだ。
コミュニケーションによって抱えるストレスは、
自分に余裕があれば解決するのではと感じることが多い。
誰かが大人になれば良い。
そんな感じがする。
場は収まりそうだ。
苦しいのは、
齟齬が起きないようにと、
自分が沢山の時間をかけて、
ひねり出した言葉が、
結局幾らか攻撃的なものと受け取られてしまった場合。
もしくは、
心無い誰かの言葉を目にした時。
もう少し、互いに余裕があれば、
もう少し寛容になれるんじゃないかなって思う。
そうやって生まれている齟齬と、
その齟齬によって生まれた軋轢は、
古い公園のゴミ捨て場みたいに醜い。
それが悪意の萌芽を目にする瞬間であるように思えるからだ。
しょうもないと片付けることができればそれでいいのだけれど、
それらの悪意は僕を苛立たせ、
誠実さを奪われる。
たとえ僕が全く関係のない事柄であったとしても。
自分に余裕があれば、
そんなことを感じる瞬間も少なくなるんじゃないかな。
もっとおおらかな気持ちで、
ある種鈍感に
相手はこう感じているだろうから仕方ないよねと
こう伝えてあげれば丸くおさまるかなと
そんなことを考えられるようになると、もっと楽になる気がする
傷つきやすく、悪意に染まりやすい子供心
そいつを覆い隠すように
白いマスクと愉快な服装で
のらりくらりと
大事を避けながら
相手を笑顔にするような
そんな自分であれたらいい
ピエロになった気分で
ピエロ性を意識して
心の余裕を持って
生活できたら良いなと思う
タチが悪いのは気がついていない悪意であり
自己を顧みない被害者妄想である
そんな人間精神の醜さを笑いに変えて
そして気づきをもたらせたら
喜劇を演じるピエロとして、及第点と言えるのではないだろうか