私欲的悪意

近頃

卒業論文の執筆にあたっての勉強然り

室内上映環境が充実してきたこと然りで

色々な映像作品を鑑賞する時間が増えてきた

 

 

現代ミュージカルに古典作品

それから昨今の話題作に

シチュエーショナル・コメディ

 

この辺りをよく見ている

 

全て洋画.

 

 

 

作品に触れて

感じたことを言葉にして

更に理解を深めつつ

文学の長い歴史におけるその作品の位置づけを考えてみる活動

 

楽しみながら充実感を得られている.

 

 

しかし色々な作品を鑑賞する中で

自分の感情の動き方が

少しずつ露わになってくるように思う

 

 

それはどちらかというと

プラスの感情を得ている時よりも

観ていて苦しくなる表現に出会った時

そんなときにこそ顕著になる.

 

 

 

大概の作品には

人の苦難が描かれている

 

それは作品やキャラクターによって

大きさも重さも色も種類も違うのだけれど

どんな作品にも苦しい表現というのは必ずと言っていいほど現れる.

 

 

そんな中で自分がどうしても耐えられない表現があることに気がついた

 

それは

人の悪意.

 

 

同じように苦境に立たされる2人の人物がいたとして

例えば今にも地球が滅亡するという苦境

或いは社会の構造に希望を奪われ途方に暮れている様子

こんな苦しさなら耐えられる.

 

 

でも

例えばシンデレラに対する義母義姉妹の意地悪だとか

或いは人の恋路を邪魔するためだけに謀を巡らし罠に貶める恋敵だとか

 

自らの欲求しか考えず人の希望を妨害する行為には

激しい嫌悪感を抱いてしまう

 

そんなシーンに出会い

視聴をやめることもしばしば

 

 

どうしても耐えられない.

 

 

 

悲劇には色々な種類があり

中でも僕が嫌悪するこの種の悲しみは

その後淘汰されるものとして

作品の冒頭に描かれることが多い

 

逆に地球の滅亡だとか

どうにもならない社会的絶望だとかは

作品のクライマックスに描かれることが多いように思う.

 

この推察から分かるのは

個人による私欲のための悪意は

構造的・不可避的な悲劇に対して

小さな悲しみとして描かれているということ

 

それでも僕は

この小さな悲しみを起こす事象に対する嫌悪を抑えることができない.

 

 

それはきっと

その私欲的悪意は

全く身近に存在し得るものだからなのだろう

 

そして

具体的な悪意の出所と背景が明確であるが故に

嫌悪の対象が定まりやすいこともひとつの理由だろう.

 

 

 

どうしても眠くて散漫な文章になってきた.

仕方ない

ひとっ飛びに結論に至ろう.

 

 

 

私欲的な悪意は全く以って身近なものであり

且つ僕は

その悪意を嫌悪する

 

しかしその嫌悪を掻き立てるものは

自らも悪意を向けられ得るのだという恐怖であり

自らも悪意を持ちうるのだという不安である

 

 

実生活においては

作中のように

包み隠すもののない純粋な悪意が発せられることは少ないだろう

 

 

しかし

誰かの私欲のために誰かの幸せが不当にねじ曲げられていること

それはあってはならないことだと強く信じる

 

 

まずは自分を省みて

悪意に立ち向かえる自分でありたい.

 

 

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