感性。ēthos.

おはようございます。

 

今日は肩の力抜いて楽しもう。

 

---

・感性

 

これが最近のテーマだなという気がする。

 

徒然なるままに綴る

 

 

・感性について

 

僕は大学で文学を学んでいるけど、

在学年数を重ねるにつれ、

ほんのちょっとばかり、

冬空の虹ほどうっすらとではあるけれど、

この学問の輪郭が見えてきた気がする。

 

 

工学とも、経済学とも、法学とも違っている。

 

何が大きな違いかというと、

この学問では、感性は切っても切り離せないものであるということ。

 

それはつまり、正解よりも結論を出すことを求められているということだ。

 

唯一絶対の解は存在せず、

あるのは各々が自分の感性の元に紡ぎ出してきた自分なりの答え。

 

"結論"というよりも"答え"という言葉の方が綺麗だと思うから、

この言葉を使いたいけど、

結論という意味合いの答えということだ。

 

感性とはなんたるか。

 

趣、風流、美、、、、、

 

なんとなく、沢山の人の感性が同じ感覚を抱く時、

このような言葉たちが生まれているらしい。

 

 

感性とは何だろう。

 

 

自分がどう感じ、どう考えるのかの出発点であり、

どのような答えを導き出すのか、

その手管となるもの。

 

あるものにとっては判断の基準であり、

あるものにとっては排除の対象でもある。

 

 

なんとなくぼんやりと見渡してみたときに、

自分の感性を大切にしたいと思っている。

 

感性を涵養すること。

 

それが生きる上で、

少なくとも自分にとっては、

大切だと思う。

 

ロゴスで解決できない問題は沢山あって、

そんな問題こそ悩まされるものだと思う。

 

 

自分の生き方を選択するためにも、

 

 じゃあ自分にとって何が選択する軸なのかって思ったら、

 

それはやはり感性だと思う。

 

それは果たして面白おかしく生きることにつながるのだろうかって。

 

 

論理的に正解を導き出すことを求められるけど、

それでもやはりそこに限界があって、

だからこそ僕は自分の感性を大切にしたい。

 

そのために自分が感じたことに対して栞を挟む。

自分の感性を、自分の手で包み込めるように。