そしてサラダを作って食べた

こんにちは、森川です。

 

昨日は人生で初めてトマトを買いました。

子供の頃からずっと苦手な食べ物でしたが、

健康のためと思い、トマトのある生活をしていこうとトライしています。

 

サラダにしました。

 

 

今度からはプチトマトを買うことを決意しました。

 

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ところで、ブログについて昨日改めて考えていた。

 

 

このブログが自分にとってどんな意味を持つのかって。

 

一度どこかに書いた気がするけど、

これは書く中でひとつ綺麗な答えを導き出すためのもの。

 

真っ白なキャンバスに心の赴くままに言葉を書き連ねていく。

 

そして何が出てくるか。

何が出来上がるのか。

 

Let’s see って感じ。

 

 

ブログだからこそいい効果がある。

読者がいること

 

誰かが読むかもしれないものだから、

振り返って感情を書き記す時に、ただの不満吐露にならない。

 

ちょっと彩って、綺麗な形に収めようとする。

 

 

作品を鑑賞する時、

鑑賞者は作者に自分を投影しているらしい。

 

作品を解釈するプロセスの中で。

 

それと同じかもしれない。

 

自分という書き手と自分という読者がいる。

 

 

SNSなんかより匿名性の低いブログという媒体だからこそ意識するものがある。

 

不特定多数の読者として想定されているのは、

自らの内なる声の代弁者。

 

読者はそのまま自分であり、自分を解釈する自分である。

 

自分を自分に説明している感覚。

 

 

君にはそうやって見えているかもしれないけれど、それでも見方を変えてみるだけでさ、

って。

 

 

きゅうりの切り方を教えてあげるみたいに。

 

 

 

辛い時こそ、こうして自分に語りかけることが大切なのだと思う。

 

何度も思っては何度もやろうとして、何度も貫いてこれなかったことでもある。

 

 

それでも、見つけないと。

 

自分と向き合う時間。

 

 

辛い時こそ、創意工夫する。

どうやったらうまく行くか試行錯誤してみる。

 

その中で見つけた答えこそが、自分の糧となり、成長につながる。

 

 

サッカーもおんなじ。

 

辛くなってきた時こそ、どんなプレーをするのか。

 

その中でどうしたらうまくプレーできるのか。

 

考えに考えて、トライしてみる。

 

 

ただただ辛さと戦うよりも、

その方が自分の上達に繋がるし、

何より楽しい。

 

自分で作ったワクワクできる自分像を追いかけている瞬間なのだから。

 

こんなプレーできたら楽しいだろうなとか、

みんな驚くだろうな、とか。

 

中学校のとき、サッカー部のコーチに、

辛い時ほど丁寧に

と何度も何度も教えられた。

 

今でも覚えてる。

 

 

それはサッカーだけの話じゃなくて、

生きていく上での学びであったのだと思う。

 

辛い時こそ、頭をフル回転させて、

どうやったらうまくやれるか考える。

 

そしてやってみて、

結果がどうあれ、それが成長になる。

 

 

辛い時こそ、自分に語りかけること。

 

 

Talk to myselfだ。

 

 

 

それが僕にとって、

生活に栞を挟む

ということなのだ。

 

 

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