始まりの町で

なんだか今日は、実家にいるからか、

自分の選択について考えていた。

 

 

 

これから人生の大きな岐路を選び取っていく年下の兄弟たちを見て、

もちろん、自分にもこれから何度も何度も大きな選択が迫ってくるわけだが、

 

果たして僕には、別の人生もあったのだろうかと思う。

 

 

今やっていることを、やっていなかったとしたら、

どんな人生を送ることになっていたのだろう。

 

 

また、どんな大学生活を送っていたのだろう。

 

 

もしかしたら、サッカーを続けてて、来る日も来る日も走り込み、ボールを追いかけ続けていたのかもしれない。

 

音楽に目覚めて、暇さえあれば、ピアノの演奏にのめり込んでいるような、そんな生活もあったのかもしれない。

 

もしかしたら、演じることに目覚め、舞台の上での表現に持てる全てを賭けていたのかもしれない。

 

 

 

そんな風に物事を考えていると、

取らなかった選択が、とても大きな夢のように見えてきて、今の自分に、なんとなく不満足を抱きそうになる。

 

 

とても身勝手な人生診断だと思う。

 

 

そんな思いを抱く時は決まって、

何かに必死になって、何かを極めようとして頑張っている自分を空想する時だ。

 

 

選択は、後からいくらでも正しいものにすることができる。

 

 

 

ただ、今の自分が、過去の自分の選択に責任を持てていないというだけのことなのだ。

 

 

 

 

過去の自分の選択を、尊んで、それを充実をもたらす選択に変えられるかどうかは、今の自分が作用するところ。

 

 

単に人を羨み、ないものに憧れ、空想を浮かべているだけでは、いつまでたっても充足しないだろう。

 

 

感性を鍛え、判断力を磨き、相応しい選択をして、その選択の上で、自分を充足させること。

 

 

その流れのひとつひとつを意識して、大切に生きるべきなのだろう。

 

 

今の僕は、自分の選択に誠実ではない。

ワクワクすることはあるけれど、辛い時、踏ん張れるだけの想いがない。

 

どうしようもなく苦しくなる。

 

 

信念を貫いて、1年間過ごし切りたかったのだけれど、

少しばかり、不快に敏感になり過ぎた。

自分のことしか考えられていなかった。

 

 

未熟で苦しくて、どうしようもなくて絶望する。

 

自分の生き方を残念に思う。

とても。

 

 

 

憧れるだけ憧れて、その瞬間の自分の感情を大切にしてあげなければ。

 

 

 

自分がなんとしてでも失いたくないってものを創り出せるかどうかは自分にかかっている。

 

 

 

この1年間、僕は何をしてこれただろう。

この3年間、僕は何に取り組んできたのだろう。

 

 

本気で世界と、自分に、立ち向かえているのだろうか。

 

 

 

人生とは、失い続けるものなのだとしても、

失った時、後悔だけは、したくはないと思う。

 

Enough?

 

Regret - not at all

 

そう言えるように、何事においても、自分と結果に向き合い続けること。

 

 

 

この堕落しきった僕を変えることは、一筋縄ではいかないだろう。

 

何ヶ月も、何年もかかるのかもしれない。

 

 

その中で、後悔することだって沢山あるのだろう。

 

それでも最後に、満足だと思えるように、

挑戦し続けようと思う。

 

 

 

誰かのための目標を明確にして、

 

不快を避けているだけじゃないのかと問い続ける。

 

ストイックに。

 

 

 

問い続けられる体力と環境を、生み出していこう。