未練

今でもふとした瞬間に思い返すのは、

高校サッカー部の風景

 

浮かんでくるものは、

勝利の瞬間でも悔しかった瞬間でも苦しかった瞬間でも喜びあった瞬間でもない

 

ただのイメージ

 

それは記憶ではなくて

 

こんなプレーができたら良かったのにという

"たられば"の風景

 

つまり、ある種の後悔であり

人はこれを未練と呼ぶ.

 

 

小学校からサッカーを続けていて

 

高校での3年間は

僕が最後にサッカーに打ち込んだ

かけがえのない時間だった.

 

然し今眼前に立ち昇るのは

そうした日々の中から選び抜かれる確かな記憶のひとコマではなく

ある存在しなかった過去の風景

 

 

風呂に入っている時 

自転車を漕いでいる時

ふとどこかの学校のグラウンドが目に入った時

 

 

「こんなプレーができたはずなのに」

 

 

そんな光景が目に浮かぶ度

まるで後ろから両眼を目隠しされたみたいに

固まり立ち尽くしてしまう.

 

 

 

2020年3月.

 

僕は大学生として

既に高校生として過ごしたのと

同じだけの時間を過ごしたことになる.

 

 

その事実を疑わずにはいられないくらいに

僕には到底追いつけ得ないスピードで

時が過ぎた

 

 

この3年間も、高校時代と同じように

ひとつの活動に生活を賭けていた

 

志高い大学の仲間たちと過ごした

学生団体での活動

 

 

 

然し不思議と未練はない

あの時ああすればよかったのに

なんて思うこともない

 

 

勿論それは時が経っていなさすぎるからかもしれないし

或いは

本当に未練など一切ないのかもしれない

 

 

うまくいったことなど殆どなかったのにもかかわらず.

 

 

 

ただ僕が未練を抱くのは

依然として高校時代についてなのである.

 

 

その存在しなかった情景が

夢に現れ出た瞬間も

頭に立ち昇った時にも

その思念逡巡は中々立ち去ってはくれない

 

まるで掃除の最中の厄介な糸屑のように.

 

 

こんなにも高校部活のサッカーに未練を抱くのは

僕の少しばかり特殊な事情もあるだろう

 

病気を抱え、満足にサッカーを楽しむことができなかったこと

尽く悪い時期に怪我をしていたこと

 

 

然し未練の要因はきっとそんなことではない

もっと単純なことだ

 

つまり、活躍できなかったこと

 

 

何をやってもうまくいかなかった

そのくせ自分に力があるはずだと思っているから

どうしてもやりきれない思いがする.

 

 

例えばテレビで、小説で、漫画で目にする高校生たちは

部活の中で考え、挫折し、挑み、強くなる

その一連の循環の中で

人生を曲げるような敗北と周囲を渦に巻き入れるほどの感動的な勝利を味わう

 

構図を通して現れ出る高校生たちは

部活動の中にそうやって生きている.

 

 

そんな輝かしい青年たちは

僕の高校サッカー生活を

ひたすらに不満足なものに変えていく

 

 

それはあり得た過去であり

遣る瀬無い憧憬である.

 

 

 

このどうにもぶつけられない不満足は

きっとこの先もずっと僕の心を占め続けるのだろう

 

 

きっと人は

そうやって過去を顧みながら

妬ましげに

若人たちに目をすぼめるのだろう

 

 

 

高校サッカー時代を思い返して考える、

「こんなプレーができたはずなのに」

という夢想の念は

きっと高校サッカー時代に

「こんなプレー」をする以外に晴らす術はない.

 

 

今となってはそれは後悔ですらないのだ.

 

 

 

 

 

僕は、

戦いたかった

走り抜きたかった

喜びたかった

悔しがりたかった

負けたかった

勝ちたかった

感心されたかった

見せつけたかった

 

 

 

 

 

それは

何事にも代替されず

ただ、過ぎる時間は二度と引き戻すことができないのだという事実を

締め上げるように認識させるだけの

儚い幻想に生きる夢なのである。

 

 

 

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