届ける相手が多ければ多いほど

こんばんは、森川です。

 

今晩から東京に向かいます。

 

明日のJリーグ、東京対鳥栖を観戦するためです。

 

鳥栖のストライカー、フェルナンド=トーレスは僕が始めてファンになったサッカー選手。

 

2010年のワールドカップを見て以来、約10年間、人生の半分を彼のファンとして過ごしています。

 

行くしかないと思い立ち、特に宿もそれからのプランも考えぬまま、夜行バスをとって飛び出してきました。

 

ただ、憧れの追求のために。

 

良識や重責を放り出して、少年時代からの憧れを、夢を実現しに行く。

 

しがらみなんて吹っ飛ばせ!

 

Yeah!!’

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今日文言化されたことをひとつ。

 

届ける相手が多ければ多いほど、行うことは複雑化する。

 

当然のことかもしれない。

 

人はそれぞれ違う感性を持っている。

 

すると一人ひとりに対してはそれぞれの届け方が必要になる。

 

100人いたら100人に対して同じ方法でハンバーガーを売り込むことはできないだろう。

 

 

今僕が向き合っている事業では、どんどんどんどん届けたい人たちが増えていく。

 

もっともっとたくさんの人に届けられるって思う。

 

 

だからこそ、複雑化して、僕らはいろいろなことをしなければならない。

 

別の視点から眺める。

 

 

だからこそ、色々なことを経験できる。

 

 

例えばサッカー部って、その思いを発揮する場面というのは、試合中での自分の活躍である。

だからこそ、ひたすら単純に、自分を磨き、自分を鍛え、自分のサッカーを追求することが求められる。

 

ルーティーン。鍛錬の日々。

 

それが刺さる人もいるだろう。

そんなにひとつのことに真摯になれるなんてかっこいいから。

 

 

対して、目の前の1人の若者や、1つの企業体や、地域社会を巻き込んで、何かを届けようとするならば、色々な人との関わりの中でのその時その時の価値発揮を求められる。

 

これが刺さる人もいるはず。

 

 

 

届けたい人がたくさんいて、だからこそ変化が求められ、だからこそ多様な経験と成長が得られる。

 

これを僕らの団体の魅力として語りたい。

 

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