バスケ

5月の訪れ

全く暑かったり寒かったり

難しい季節になった

 

きっとこれからは雨の日も増え

一層鬱々と探すことになるのだろう

 

地震も増えて

心配だ.

 

この連休で

身も心もだらけ切ってしまったとはいえ

 

決心を新たにした4月は

まぁそんなに悪いことばかりでもなかったのではないかと思う

 

少しずつ

必要なことを勉強する時間は増えているし

 

新しい同僚もできて

少しだけだけど

何かしらの輪に飛び込む機会もあった

 

まだまだ新しいグループに入った時に

快適に感じることなんてできないけど

機会を取れたことは

ひとつ進歩と言ってよい.

 

 

4月はふたつ

素敵な作品を鑑賞した

 

Kinky Bootsはウエストエンド公演を映像で

Next to Normalは日本公演を舞台で

それぞれ役者さんが生き生きしていて

何よりミュージカルという芸術として

完成されているように思えた.

 

 

ふたつの作品を鑑賞している中で突然

やってみたいと思うことに

時間を割くべきだと思うようになった

 

大層なことではなくて

あんな風に綺麗にピアノを弾けたらいいなとか

休日にサッカーをプレイできたらいいなとか

 

たったそんなことだけれど

それがとても大切なことなのだと

感じるようになってきた.

 

ひとつには

それぞれの作品から受け取ったメッセージに起因する思いなのだろうし

あるいは舞台の上の生活に

何かしら憧れさせるものがあったからだろう.

 

 

日々の生活には

あまりに変化がなさすぎる

 

そして変化がないことに

心が満ちる生活でもない.

 

祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

 

この世に変化しないものなどなくて

だからこそ変化がないと感じてしまう生活は

どこか違和感を離れられない

 

それはまるで

いつも乗り物に酔っているみたいなものだ.

 

 

4月は何度かstrangerとなるような経験があって

その時にも感じたことだけれど

 

自分はあまりにも

周囲の目線を意識しすぎているのだと思う

 

映画館や劇場や歯医者で

気が散ってゴソゴソしてしまう

 

そんなふうに.

 

 

人の目線を気にせずに

我が道を進むこと

 

それはまるでそれ自体が

美徳であるかのように語られてきたけれど

 

遂行することは簡単じゃない.

 

 

例えばバスケットボールをプレイする

コミュニティがあったとして

 

何かしらの縁があって

名前も知らない人たちの

輪の中に入ることになったとする

 

その時

自分はバスケなんて全然したことないけれど

思うままにプレイしてやろうと思える人であれたらいいなと思うけれど

自分はどうしても

仲間の邪魔をしないことばかり考えてしまって

ディフェンスやパスばかりしているに違いない.

 

どこで培われたのかはわからないけれど

そのメンタリティが自分なのだ

 

バスケットボールに限らず

社会的なあらゆる関係性やグループにおいて

この性質は発揮されてしまう

 

そしてそれはただ単に

損じゃあないかと思うから

 

できればなんとかしていきたい.

 

どんな時でもこれが自分だと

そう言い切れるような自我があればよいのだろうか

 

 

実際のところ

人は別に自分のことなど気にしていない

 

それは単純に真実だと思う

 

それを心に留めたところで

行動をなかなか変えられないのが問題なのだが.

 

 

自分の心で考えているだけでは

堂々巡りをするだけだから

 

今月も

新しい関係性に触れる機会を増やして

そうやって思えるようにしていかないと

 

自分は自分

他人は他人だと

 

割り切れるようになりたいものだ

 

 

 

 

 

 

周囲を気にしすぎるていること