2021年が終わって
2022年が始まっている
どこに区切りをつけるのか
主観的な決定でしかないのだけれど
こうした機会をとらえてこそ
自らを顧みられるのだろうと思って
何かしら
これからの1年の指標となるものを
書いてみようと試みたけれど
書き上げ切ることができず
1月も4日を迎えることとなってしまった.
今日こそは少し乱雑でもいいから
何かを終わりまで書いてしまおう.
1年前の自分を思うと
まだ卒論を書いていたらしい
全く信じられない
卒業なんて
もう何年も昔のことのように思えてしまう
どうしても鮮明に思い描くことなどできない.
3月には大学を卒業
それからは正社員として過ごしていた日々
今振り返ってみれば
もうずっと仕事をしていたような気がして
やはりこの所属の変化は
自分にとって
とても大きなものだったのだとわかる.
9ヶ月が経ってもなお
社会人として過ごすことに慣れたとは言えない
ただ
自分がしばらくどんなことをして過ごす必要があるのかを
知ることができたのは成果だと思う.
2021年の初めに
月ひとつのスキルを身につけたいと書いたが
それらはこれからの1年が
かくありなんと思い巡らせたものだったから
社会人になってから
どうしたってペースについていけなかった.
年を経るにつれて
検討のつく時間の間隔が伸びていて
そして昨年よりは1年の見当がついている
ひとつ大きな違いだろう.
とはいえ
この1年は比較的多くのことに手を出した
仕事に関連するようなものだけではなくて
心理学の勉強をしてみたり
家計簿をつけ始めたり
楽器を始めてみたり
一昨年からの継続で視れば
ミュージカルの鑑賞や
ジムでのトレーニング
志半ばのことはたくさんあるけれど
その中でも
コツコツと継続できているものもある
サッカーをすることしか
知らなかった10代の頃を思えば
大学で広がった教養や人の輪を通して
心を向ける対象が広がったことと思う.
一方でこの1年を通して
自分から表現する機会が
著しく減少してしまった.
それは仕事や人とのコミュニケーション
そしてこうしたブログの執筆など
何かしら自分の考えや感じたことを
話す書くして表明する機会のことだ.
それに含まれるような気がする.
そもそも物理的に仕事に時間を割いていて
自ら考える時間や書か話す時間を
割けなくなってしまっていることもあるが
何よりも実感したのは
表現にはエネルギーを要するということだ.
何かを感じること
何かを考えること
何かを書くこと
何かを話すこと
今まであまり気がつかなかったけれど
これらは多大なエネルギーを消費する.
大学の学部生としての生活は
若者の最後のモラトリアムだと言われるが
それがどういうことなのか
この1年でわかった気がする
自由に感性と想像力を働かせられる
時間と空間と心の余裕があること
なんと素敵で得難いものなのだろう.
1日とまた1日を
乗り越えることに必死になっていた日々では
自らの感性を表現することへの
エネルギーは残っていない
総括すれば
この1年の学びとは
それに尽きるような気がする.
まずは今の生活に慣れること
そうしたら
次はその表現する余白を少しずつ
生活の中に見つけられるようにすること.
これがこれから目指すことであって
そのために
具体的に何を行っていくのかを決めなければ.
これからの1年とは言わずとも
来たる数ヶ月のうちに取り組むこと
まずはサードプレイスを見つけること
今の生活では
リモート勤務の時は1日家にいて
出社の日も出社して家に帰るだけ
もはや自宅に飽きるくらい
そうすると心の余白を作ることが
物理的に難しくなる
だからこそ
どこか一息つける場所をひとつ見つけたい.
次に
資格として仕事に使えるスキルをひとつ
身につけること
結局自分が自信を持って取り組めないからこそ
神経質になって
物事も進まなくて
仕事に精神と体力を
使い果たしてしまうことになる
だからこそ
仕事を素早く果断に進められるようになりたいのだが
それを明確な目標とするには
資格としてスキルを手に入れることが
最もわかりやすいだろうと思う
年長の社員さんをみて
自分が劣等感を感じるのは
身についているスキルの拙さだったから
何か自分として納得だから形で
それを身につけないといけない
1ヶ月にひとつなんて言わないから
ゆっくりとちょこちょこと時間をかけてでも
ひとつを確実に身につけようと思う.
時間ばかりかけたから
全くまとまりのない
新年ひとつ目のブログとなってしまったけど
まぁ1年こんな感じで
体裁に拘りすぎることなく
表現の場数を取り敢えず増やせるようにしたい.