云々等々

公園の桜

引っ越しのトラック

小さな虫

 

辺りはすっかり春となり

新生活という言葉に頻繁に出会う季節になった

 

そんな実感はまるでないけれど

自分も社会人となってから

はや1年が経過して

 

また少しずつ

変化を作り出していかねばならぬと思う今日この頃

 

自分が何を考えているのかを知るためにも

ここにひとつ

思うことを書き連ねてみよう.

 

 

この1か月ほどは

どちらかというと気分が沈みがちなことの多い日々だった

 

何というか

単純に

嫌な気持ちになることが多い

 

ひとつ

大きな戦争が始まって

それに対して一体どのように心や体を反応させれば良いのか

いまだに全くわからない

 

募金を行ったことの他には

ただ流れてくるニュースを耳にして

気持ちが塞ぎ込んでしまうだけ.

 

そのニュースにしてもまた

なぜこんなにも

嫌な気持ちになる話題ばかりが流されるのだろう

 

誰かが誰かに殺されただとか

居眠りをする政治家のインタビューだとか

公共の場所に

吸い殻を大量に捨てていく喫煙者の問題だとか

 

楽しい気持ちになれる話題はないのだろうか.

 

社会に発生している事実を知ることは大切だ

だけどその全てを受け止めようとしていては

きっと心を病んでしまう

 

人間は結局

チンパンジーや猿やゴリラやボノボの仲間であって

縄文時代の暮らしみたいに

数十人の限られた人たちと

社会関係を築いて生活するものなのではないだろうか

 

きっと現代のように

何万人何百万人何億人と

情報を共有して生きるようにはできていない

 

そんなことを思う.

 

それは少なくとも自分には

この世の真理のように思える.

 

だからこそ

自分が受け入れられるだけの情報を

得るような暮らしに変えていかなければならない

 

ソーシャルメディアを制限したり

親しい人と会う機会を増やして

そうした生活を志向しながら生きていこう

 

その都度より善い暮らしを

問い続けることを止めることなく.

云々.

 

話を変える.

 

4月

新生活

社会人としての2年目

 

1年を振り返ってみると

1番に感じられたのは危機感

 

ぼんやりと過ごしていたら

あっという間に一生が終わってしまうという危機感

 

よくよく考えてみると

年度初めにぼんやり立てた

数字の目標は達成している

 

だがどんな一年が待ち受けているのかを

知らないうちに建てた目標を達成していても

あまり誇れることではないだろう.

 

感覚として

何かに対して必死で取り組んだとか

確かな何かを身につけたとか

そうした達成感がない

 

すべき事をこなすために

最低限のことは行って

それによって大体のことが無事に終わっている

 

でもそこに感情的な盛り上がりはなくて

かつ自分で確と定めた使命が無いから

実際もっと上手く使えた時間は沢山あったし

何より充実している実感はない.

 

それこそまた

同じ問いに戻ってくる

 

幸せとは何だろう

より善い生活とは何だろう.

 

 

周囲からの刺激

これは自分に絶対的に不足しているものであり

不足してある事をもう1年以上も知っているにもかかわらず

解決するための行動を起こす勇気と気力を持てないでいることでもある.

 

やっぱりこれだろうな

これを自ら求めることができるようになるために

頭を絞らなければならない.

 

 

顔も知らない人たち数100万人ではなくて

親しく関係を築けるひとりふたり数人十数人

 

そんな関係性を

創り出す努力をしないと

 

そしてそのためには

対価を支払う覚悟をしなければ

 

自分にとって

何が対価であるのか

今はそれすらもわからないけれど

 

少しずつ

周囲の人との対話を作り

少しずつ

自分が心を開ける人たちとの輪を作る

 

遠くのことばかりを見ようとすると

たくさん嫌なことが聞こえてきて

心が疲れてしまうから

 

そうして20代としての発達課題を踏み越えて

大人になっていきたいものだ.

 

等々.

 

まとまらない思考でも

どこかに書き留める機会は増やすこと..