坐して

8月が始まった

 

気がつく間もなく

 

 

勿論 8月1日はただ365日の中の1日に過ぎず

8月になったからといって

セントラルスクエアで盛大なカウントダウンが開かれるわけでもない

 

 

それでもこうして

定められた7月という期間の中の

31日間全てを過ごしたことに対しては

 

何かしら

華やぐものがありやしないか.

 

ともかくいつも行っているように

この1ヶ月を振り返ろうと思う.

 

---

 

2020年7月

 

コロナ危機が一旦鎮まり

社会活動が復帰の兆しを見せ始めたひと月.

 

 

僕の31日間は

まるで何もかもが

巻き直しであるような気がしたものだった.

 

 

変わったことといえば

半ばに数日の帰省をしたこと.

 

その数日は大切な思索の機会であればこそ

 

日記を見返せば

その他 90%の日々は

まるで何かに押さえつけられているかのように

日々同じ濃度色彩で記録されていた.

 

 

6月を振り返る際に確認したことは

"焦らず驕らずひとつひとつ積み重ねる"という

大切にしたい指針であった

 

 

それはこの1ヶ月もまた

自分にとって大きな課題であった筈であるが

きっと意識しないままであっても

同じように同じような日常を過ごしたことに相違ない.

 

 

何事に対しても

粘り強く大成を見据えて取り組むことができるような

そんな姿が理想であったけれど

 

取り組む先を見つけられないことに

不満足を抱いてもいた.

 

 

しかしその中でも

続けられていることもある

 

日々トレーニングをすること

 

これだけは1日も欠かすことなく

既に2ヶ月近く

継続することができている.

 

 

姿は心を映すもの

そう思うからこそ

自粛期間の都合もあり

レーニングを続けてきた

 

終わりもなければ目標もない

 

それなのに

意欲的にここまで続けられている

 

自分でも驚くほどに.

 

 

きっと運動部畑で育った過去がある為に

体を鍛えるという行為に対して忍耐することが

他のことに比べて易しく感じられるのだろう.

 

 

ともかく

意識してこれだけの期間毎日継続できたことは

これまでになかったような気さえする

 

それはひとつ7月の大きな実りなのではないだろうか.

 

勿論6月の半ばに始めたことを

同じように続けているだけだから

劇的な展開も望外な喜びも

感じられることは全く以って無かった

 

何を成したわけでもなく

何を作り上げた訳でもない

 

ただ続けたという事実だけが存在している今

 

その事実を恭しく拝受して

更にただ続ける日々を送ろうとすることが

焦らず驕らず過ごすため

必要な心の有り様なのではないだろうか.

 

 

 

7月

常に何処か近くに存在し続けていたものは

停滞に対する恐怖心だった

 

レーニングだけは続けているくせに

卒業に向けた研究も

これから大きくしていくべき事業も

何ひとつ変化をさせていない

 

それはただ怠惰という言葉で片付けられるのかもしれないし

自分でも実際その通りだと諦観している節がある

 

然しそれならばそれで良い

諦観することに得心しているのであれば.

 

今は停滞していても構わないと思う

 

それは論理的な判断でもあれば

ただそこはかとないニヒリズムでもある.

 

 

 

自らに高望みすることなく

この1ヶ月続けられたことを

自らの生み出せるものと受け止めて

 

意欲が湧き出た時

若しくは力を出さなければならない時に

この忍耐を持ち出せるように.

 

自分にできることというのは

実際予期しているものに対して

驚くほど少ないものだろう

 

 

何を無くしたとしても

確実にひとつを成すこと.

 

 

怯えることの理由にはせず

ただ1を極めんとする志を

坐して見据える8月を.

 

 

f:id:haruki-morikawa:20200801224203j:image