ミニマル改革

故郷で数日を過ごして帰阪してからは

ずっとひとつの思いが頭の中を渦巻いていた.

 

もっとミニマルな生活を送りたいという思い.

 

きっかけはおそらく

夕暮れの故郷に歩きながら

ぼんやり考えていたことにある

 

大阪に暮らしていては

決して見ることのない景色

 

平地に居ても見渡せる広くて狭い町並み

 

あたり一面を囲う山々に

子供心を刺激する川辺

 

夕焼けが頭上一面に色を写していて

踏み出せば飛び交う鳥たちと屯する虫たちに出会う.

 

 

そんな情景を歩きながら

自分が求めている生活とはこのようなものであるのだと

確信に近い思いに至った.

 

 

そこには自分の時間が存在していて

そこには自らの想像力の余地がある

 

しかしそこに

自分のものはひとつとして無い.

 

 

そのような体験が心地良かったから

 

大阪に戻り家の扉を開けた瞬間に

あり過ぎるモノに圧倒されたことは

 

全く自然な反応だったのかもしれない.

 

 

客観的に見ても

部屋は散らかっているわけではなく

豪勢にモノを集め蓄えるような性格でも無い

 

蔵書の多いことは

ただひとつ例外であるように思うけれど

 

これまでこの部屋に

余計なモノは殆どないと思っていた.

 

 

しかし

故郷から戻り

部屋に踏み入れた瞬間に感じたあの圧迫感は

 

ずっと自分の周囲にぐるぐると渦巻いているように思えてならず

 

今日は時間を取り

ミニマルな暮らしを目指そうと

部屋の刷新に取り掛かった.

 

必要のないモノを処分して

必要なモノをあるべき場所に再整頓して

 

その作業には

文字通り1日を費やした.

 

そんなにも時間がかかったことも驚きだったが

 

何より驚きなのは

 

志せば処分すべきモノが

途方もなく存在していたことと

それでも尚

ミニマルな生活とは程遠いという事実である.

 

 

必要のないモノたちは

それに応じて適切に処分して

 

確かに部屋には新しい空間が生まれた.

 

確かにモノは少なくなった.

 

でも

 

少なくなっただけで

少ないわけではない

 

少ないにはまだまだ程遠い.

 

必要のあるモノしか存在していないけれど

想像していた満足は得られていない.

 

ミニマルに生きること

いや

正確に表すのであれば

 

古里を歩きながら感じた

あの何にも縛られることのない

共有された時間と空間を手に入れること

 

 

きっとそのためには

 

何が絶対的なモノを手放すこと

 

当然のように過ごしているこの生活に

意図的に欠落を生み出すことが求められている.

 

 

僕がこの数ヶ月

食事において試みてきた改革のように

 

到底変えられそうにもないことの装飾を剥ぎ取り

真に生きることに繋がることに集中できるよう.

 

 

目に映るこの壁に囲まれた風景を

よくよく見定めることが必要だ.

 

知らぬ間に被っている装飾を剥がし

生きることの根源的な喜びを拾い集めていられるように.

 

 

改革を続ける.

 

 

f:id:haruki-morikawa:20200920235338j:image