ババロアの日の置き手紙

少し先の将来と

現在の自分が思い描く姿について

 

少しばかり思いを馳せてみる.

 

 

近頃つらつらと考えていることは

取り留めなく生まれるものでありながらも

 

実際には一貫していることに驚かされる.

 

 

改めて確認した想い

これから3年間をどのように使うのか

 

まずひとつ目に

自活する能力を作ること

 

つまり

自分がどんな環境にいたとしても

生活を守ることができる力をつけること

 

それは仕事にあぶれないことであり

それは0から100までの仕事を汎用的にこなすことができると言うことである.

 

次に

一度抱いた夢・理想を実現していくこと

 

欲なく生活している日々

 

今の自分に対して

レーニングがしたいだとか

美味い茹で卵を食べたいだとか

 

そういった欲は持てるのだけれど

 

未来の自分に何かを欲望することが難しい.

 

 

それはこの不透明なご時世の影響もあるのだろうし

自分が経験することの範囲が狭まっている事実によるものでもあるだろう

 

更には自律的な生活の中で

欲を持つことを抑制しているからかもしれない.

 

 

 

兎にも角にも

新しい欲望を見出すことが難しい

 

 

そんな状況の中で

達成することの幸せを求めるのであれば

それは過去に起因するものに他ならないだろう

 

 

幼ければ幼いほど夢みがちである私たち

 

一度抱いた夢や希望を叶えていけるのであれば

それは自分への孝行になるはず

 

たとえ今の自分自身が

その欲望に何の意義も見出せないとしても.

 

一度抱いた欲望を

執拗に掘り起こし

例え無感動の行為になろうとも

 

僕にはそれしか指針がないのだ.

 

 

だからまずは

目標を過去にまとめてみることにしよう.

 

 

 

そして最後に

どのように生きるのか

 

そのアイディアについて

 

それは何度も繰り返し現れる言葉達によって語ることができる.

 

 

正論に生きるこ

 

律儀であること

 

1の次に2を積み上げること

 

足ることを知ること

 

 

 

 

今日のこれらの言葉達は

宛ら食卓の上に残した明日の自分への置き手紙

 

 

 

願わくば明日の僕が同じ言葉に出会わんことを

 

 

 

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