まとまりのない

2月ももう折り返し

 

息継ぎをするたび

いつの間にか過ぎ去った時間を意識して

少し物悲しく

少し無力さを感じる.

 

今日はとても暖かい

気温は19℃まで上がったそうだ

 

つい昨日までコートを羽織っていたはずなのに

長袖の服では汗ばむほど

 

日々捲られるカレンダー上の数字よりも

 

ふとした時に意識する

こうした季節の移り変わりが

時間の経過を突きつけてくる.

 

 

 

人知れず失われていく時間のなかで

音楽に意識を向ける時間が

殊更に増えたような気がする

 

現代ミュージックは殆ど聞かない

楽曲と歌い手とが今ほど密接に結合していなかった時代の音楽にこそ

美しさを感じるからだ

 

 

何事にもコマーシャリズムが浸透している社会

全く見るに忍びない光景なのではないだろうか.

 

でも

そんな風に論を進めてみたところで

きっとただ批判ともぼやきともつかない不恰好な言葉が並ぶだけだから

音楽について書くのはやめよう.

 

畢竟音楽とは人の好みに過ぎないのだから.

 

 

何かしら物事を批判しているという意識があるときに

少しいい気分になるのはなぜだろう.

 

自分が賢くなったとでも思うのだろうか

見えない誰かに対して優位に立ったと感じているのだろうか

 

他人や物事の欠損を見つけて

それを論うようなとき

快感を得るようなシステムが

ヒトに備わっているのだろうか.

 

 

自分が正しいと思うことによって

誰かの気分を害するようなことがあるのなら

行うことを躊躇しなければならないと思う.

 

 

何のまとまりも見つけられない文章になってしまったな.

 

 

批判する人は自分の訴えを聞き届けてほしいのだろうし

もしかしたら本当に批判する相手に行動を変えてほしいと思っているのかも知れない.

 

けれど

大切なのは批判しようとする精神ではなくて

自分が信念の通りに行動することを貫くこと

 

 

きっとこれも個人の思想に過ぎないのだろうけれど

イデオロギーに踊らされて

身の丈に合わない比べ合う暮らしを諦観するのではなくて

他者のためそして和を保つため

その行動信条を自分の中に持ち続けようと思う.

 

 

 

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