シルバニア

明日は大晦日ということだ.

 

実家に戻り

時たま課題などをこなすほかは

 

ただただぬくぬくと

故郷を散歩しているか

あるいは本を読み続けている.

 

 

実家に帰るといつもやることだが

 

今日もまた

当てもなく

ただただ懐かしい風景を臨みながら

 

強風吹き荒れる中を

足の向くままに歩いていた.

 

 

まだ小学生や中学生だった頃

何度も自転車で通った道を歩いていて

不思議な思いに囚われた

 

 

学校が終わり家に帰ると

友達と遊ぶため

すぐさま自転車に飛び乗った.

 

向かうところは友達の家や

近所の公園やグラウンド

 

そこに至る道のりは

多少背景セットの老朽化や入れ替わりといった変化は免れないものの

未だあの時のままである.

 

 

しかし何故だろう

 

自転車に跨り

危険を恐れることも知らず

全力で走り抜けたあの頃よりも

 

今こうしてゆったり歩いている時の方が

何とも短い道のりに思えた.

 

 

大学に通うため

故郷を旅立ったのは

今日からおよそ4年前のこと

 

限られた田舎町より外に身の置き場のなかったあの頃の自分に比べると

いくらか世界が広がったということだろう.

 

かつて住んでいた家は

高さも大きさも体積も間取りも

何ひとつ変わっていないはずなのに

 

まるでシルバニアファミリー

模型の中にいるような気持ちになることがある.

 

 

世界の全てであったこの家はこの町は

今や己の世界の一片に過ぎないのだと

 

変化として実感する.

 

 

それに

 

あの頃の自転車上での道のりには

はたまた

あの頃の尽くの時間には

 

惜しまない瞬間ひとつとしてなかった.

 

それも今は違う.

 

 

目的もなくただ歩くということが

行動の動機になり得る.

 

 

過ごす時間の中に余裕を

見出すことができるようになったということだろう.

 

広く自由な世界の中に

踏み出している自分を感じて

 

さらにまた

次の世界へと踏み込んでいく自分を意識して

 

また年を越そうとしている.

 

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