感謝

今日嬉しかったこと.

 

自転車を漕いでいるとき

大型家具屋の駐車場の

車の出入り口に差し掛かった

 

歩道と車の出入り口が交差するその地点

そこにはふたりの整理員さんが立っていて

赤い警棒を振りながら

 

歩道を進む歩行者と自転車

駐車場を出入りする車

 

一方を止め

他方に道を開きながら

交通整理を行なっていた.

 

 

歩道を進む人たちが

優先されていく中で

 

その車は

長い間待たされていたのだろう

 

僕の通りかかる目の前で

歩道の進行がストップされた.

 

 

その後のこと

 

その車が駐車場に入ったことを確かめ

こちらの道を開いてくれた

整備員のおじいさんふたりは

 

通りすぎる僕に対して

 

ありがとうねェ

 

そうどこまでも丁寧に

優しい口調で声をかけてくれた.

 

 

なんと心温まる瞬間だったことだろう

 

こんなに心の困った感謝は

長らく聞いたことがないほどだった.

 

 

車を優先させたことに対して

何ひとつ不満を見せたたわけでもない

それどころかカケラほどのネガティブな感情を抱いていたわけでもなかった

 

反対に

いいことをしたとか

我慢を見せたとか

そんなことだって塵ほども思っていなかった.

 

 

けれど

そこでかけられたただただ純粋なひと言は

僕の心の中に染み入り

暖かな火を灯していった.

 

 

今になって思うことなのだけれど

 

現代の日本のあの場面で

最も使われるフレーズは

 

すいません

 

ではないだろうか.

 

 

これは相手に迷惑をかけた時に

私たちが使う言葉だ.

 

 

けれど今ではこの言葉は

相手の感情を考えず

ただ機械的に発せられていることがとても多い.

 

 

たとえ相手を慮る言葉だったとしても

相手の感情に合致しない言葉は響かない

 

だから今日のあの場面

発せられた言葉が

すいません

だったとしたら

これほど思うこともなかったはず.

 

 

自らの保身を表すようになってしまった言葉ではなく

 

純粋に感謝を伝えるひと言だったからこそ

あれほど心を動かされたのだ

 

 

もちろん言葉の発し方によるところも

とても大きいのだろうけれど

 

まずはひとつ

ただ

すいません

と発するのではなくて

 

相手の良き行いに対して

ありがとう

を選べる人間でありたいと思った.

 

 

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