借りることへの恐れ

卒論の執筆に追われていることもあり

 

近頃はなかなか

自分のことを振り返ったり

考えたことをつらつらと

書き連ねたりする時間を取れていなかった

 

そうすると

人と話している時に

なんだか自分が空っぽのようでもあり

話し相手に申し訳ないような気分にもなってくるから

 

こうして誰に伝えるでもなく

自分の内面を探究して言葉にする機会を

持ち続けたいと思う.

 

 

 

最近

改めて思ったことがある

 

それは

ものを借りることが苦手だということ

 

 

いや

苦手というと

少し示すものが異なってくるかもしれない

 

 

ものを借りるのが苦手という表現はきっと

ものを借りたくても借りるかができない

 

そんな心情を表す言葉として適切だろう.

 

 

ただ

僕が表したいのは

なんというか

 

ものを借りることを

できる限り避けていたいという心情のことだ.

 

 

つまり

ものを借りている状態が苦手なのであって

 

ものを借りることを恐れている

 

そう言い表すのが適切だろう.

 

 

いつからだったか

記憶にある限りを振り返ってみても

 

人からものを借りてしまったその暁には

どうしても

安心できない日々が訪れる

 

 

人から借りているものが

どこか部屋の中に存在しているだけで

全く心が落ち着かない

 

いつまでもそれが気になってしまう.

 

 

それは

その借りているものを

 

自分が傷つけてしまったり

失くしてしまったり

汚してしまったり

 

何かしらの形で

自分が損なってしまうのではないか

 

その恐怖から由来するものであるように思う.

 

 

図書館から借りた本であれば

依然同じように

損なわないことに気を配っている一方で

 

個人のものを借りた時ほど

精神的に追い込まれたような気分にはならない.

 

 

確かな個人と紐づいたものに対して

殊更恐怖を感じるのだ.

 

 

だから僕は

人からものを借りないで済むように

できる限りの用心を重ねて生活している.

 

 

最後にものを借りたのは

おそらく2月まで遡る

 

どうしても

断ることが憚られる状況だったから

一冊の本を借りてしまった

 

その結果

結局その本を開くことはできなくて

 

同じものをすぐに購入し

借りた本は丁重に保管して

早々と持ち主にそれを返した.

 

それくらい

人のものを傷つけてしまうことへの恐怖感が

自分にまとわりついているということであり

 

その過程まで終始覚えているくらいには

ものを借りるという行為に対して

敏感に意識を働かせているということだろう.

 

 

何故こんなにも

人のものを借りることに抵抗があるのか

人のものを損なうことを恐れているのか.

 

わからない

 

もしかすると

過去に何か大きな失態を犯して

人のものを損なってしまった結果

相手を酷く傷つけてしまったのかもしれない

 

しかしそんな記憶はどこにもない

 

 

もしかすると

これは生活の個人化が進む現代における

人々の共通した傾向なのかもしれない.

 

 

しかし人々は

今なおものを貸しあっているようだ.

 

 

一方で

ものを貸すことに対しては

不思議なほどに抵抗がない.

 

むしろ

貸したものが返ってくるとは思っていないから

誰かに本を貸すような時には

もうその人にあげるくらいのつもりで渡す.

 

実際

貸したものが返ってくることの方が珍しい.

 

そしてそれに関して別段不満もない.

そういうものなのだろう.

それでいい.

 

 

ただ人から借りることだけが

頭を悩ます問題になる.

 

 

きっと

これだけ過敏にプレッシャーを感じてしまう自分こそが

常識を外れているのではなかろうか.

 

 

 

よくよく考えてみると

僕が抱いているこの恐れは

 

物質的なものだけではなく

相手の時間というような

概念的なものにも当てはまる.

 

 

例えば人と話す機会があったとすると

どうしても

居心地が悪くなってくる.

 

ある程度長い時間を

誰かと話したその後には

 

大抵とても反省する

 

共有した時間に対して

自分がもたらせたものが

十分なものであったのかを考えてしまう.

 

 

考えてみると

この精神性は

人のものを借りる時のそれと

近いものがあるような気がする.

 

 

 

こうして書き連ねた文章の先に

何か建設的な解決策を見出そうとしているわけではない.

 

今のところ

人のものを借りる必要も別段ないから.

 

ただただ事実として

僕が人のものを借りるという行為に対して

 

およそ考え得る限りの

大きなプレッシャーを抱えてしまうということ

 

 

それはきっと

相手と共有した時間というような

概念的なものにも当てはまるということ.

 

 

他者が抱えているものを

侵すことに対する恐怖がある

 

 

自分がしたことによって

相手を損なうことがないことを願っている

 

 

つまるところ

ただただ単純に

相手を傷つけたくないと

 

そう強く望んでいる.

 

そういうことなのではないだろうか.

 

 

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