餅つきウサギの冒険

ひとりであるということ、

 

これが何を意味するのか

 

 

 

 

全く以って何もする気がなくなり、

ただ何となく時間を過ごす

 

 

そんな瞬間が時折やってくる

 

 

 

それは悲しい映画を観た後かもしれないし、

もしかすると公園で子供たちの遊ぶ声を聞いた後かもしれない

 

ただいつもの電車に乗っている時にも

ただ歯を磨いている時にも

ただスーパーでベーコンを選んでいる時にも

 

そんな気分になったりする

 

 

 

感傷的

 

 

自分はこの言葉の意味を理解していないのだと知った

 

 

感傷的な気分とは果たして何だ

 

 

知っているようで知らない

見ているようで見ていない

感じているようで感じていない

 

 

そんな言葉であり感情である

 

 

感傷的な気分とは、果たして今の自分を的確に言い表すに相応しい表現だろうか

 

 

 

 

ひとりであると感じる時

 

 

それはいつの間にかやってくる

 

 

何となく無為な思いに耽る

 

 

たまに絶望の淵に沈む

 

 

 

ごくたまに   

 

 

 

 ひとりであるということは、やはり寂しいものだと思う

...

 

あまり良い表現だとは言えない

客観的に見て

 

 

 

ふぅ、、、

 

 

高いところが怖い

 

 

そうではなくて、

 

高いところから落ちることに恐怖しているのだ

 

それはつまり、

 

落ちた先にある死を恐怖しているのだ

 

 

 

表象に惑わされてはいけない

みんなが持ってるものだとしても

 

 

よそはよそ、うちはうち

 

鬼は外、福は内

 

 

そういうことだ

 

 

 

自分が経験することを紡ぎ出すことが必要なのだ

 

 

でないと誰が誰だかわからなくなる

 

 

 

 

ひとりでいることが寂しく

自分がひとりであることを思えば、

 

ただ床に寝転び

風呂に入るのを諦め

 

なんとなく浮かんでは消えて行くとりとめのない思いを眺めている

 

 

 

僕は明日からも、いつも通りの日常を生きる

 

目覚ましの音で目を覚まし、スマホを確認し、

コーヒーを入れるのを面倒臭がって、

パンをかじるだけの朝食をとる

 

気がつけば出かける時間が迫っていて、

何か必ずひとつの工程を忘れ(それは歯磨きだったり消灯だったり、あるいは洗濯物を取り込むことだったりする)、

鍵をかけて家を出る

 

なんとなく主体的に仕事をこなし、

一定の数的成果を得て、

帰路につく

 

晩御飯を作るのが面倒になって、

すぐに用意できるものを買い、

帰ってご飯を食べて、

 

色々となんだか面倒になって、

特に何もせず、

いつのまにか12時を超えていたら寝る

 

 

 

 

生きている感覚を求めること

 

自分は何に満足するのだろう

 

 

 

たとえば明日の朝が、

耳の穴から入り込んだ妖精に体の中から声をかけられることに始まって、

 

ドアを開けたらちょっとばかり大きなトムソンガゼルにエスコートされて、

 

リムジンに乗り込み、

 

月に辿り着いて、

 

餅つきウサギと一緒に魔王討伐の最終決戦に臨んだとして

 

 

 

 

 

Enough??