ターミナル駅の確信

新幹線の中にいる

久々の長旅

 

電車に乗ってぼんやりと

ひとりで遠出するのが好きだ

 

目的地も楽しみにしているけれど

まず初めにやってくる車内の時間が好きなのだと思う.

 

ぼーっと景色を眺めたり

本を読んだり書き物をしたり

たまには仕事や勉強をしたり

 

制限された環境であるからこその安心感と

それでも所在なさを晴らしてくれる移り変わる車窓とがあって

 

贅沢な環境だと思う.

 

 

今日は折角のこの贅沢な時間を

先日から考え続けている

生き方についての考察に費やしたい.

 

いつだったか

先日ジムに行った時のこと

 

ラットプルダウンを引いている最中に

ふと言葉として頭に定着した考えがある

 

それはおそらくこの半年から1年の僕の考えのひとつの終着点であり

せっかくだから電車を例えに用いるのであれば

 

まるで漸く辿り着いたターミナル駅のような

新たな始まりを含む思索のまとまりなのだと言えよう.

 

 

さて

 

長きに渡って僕の中で

存在感を増している作家がいる.

 

宮沢賢治

 

法華経に心酔した岩手の童話作家

 

畢生の大作『雨ニモマケズ』はあまりに有名で

僕も漏れなく全文を諳んじることができる.

 

 

生活を改善しようと試みて

運動をしたり断食をしたり睡眠時間を変えたり

 

そんなことに取り組んでいるうちに

芽生えてきたのはミニマルな生き方を志す心だった

 

何かあるよりは何もないほうがいい

 

得ることにも失うことにも等しく美を見出す

 

 

意図せずとも醸造されたその生き方の思念は

ふと宮沢の作品に触れたその瞬間から

 

具体的な対象と

語る言葉を獲得した.

 

僕は法華経を信仰しているわけではない

肉も食べるし玄米なんて高くて買えない

 

それでも彼の作品の根底に通ずる

己捨の精神や他者に尽くす姿勢

過大に求めず自己の不遇を幸いとして受け入れようともがく姿勢には

 

どこか心の奥底の

幾つもの扉を闇雲に開け続けた先にしか辿り着けないような空虚な小部屋に

直接的に訴えかける力があった.

 

 

 

しかしながら

常に頭に燻り続けていた問いがある.

 

自分が生きていることと

自分が生きていないことの間に

果たして何の違いがあるのだろう

 

 

どれだけ早寝早起きを徹底したところで

どれだけ部屋からものを撤去したところで

どれだけ食事から装飾をはいだところで

 

自分は幸せを感じながら生きているのだろうか

 

賢治風に言えば

(僕にとっての)ほんとうの幸いとは何だろう

 

答えを見出せない問いがあった.

 

 

答えを見つけられないからといって

 

別に気持ちが沈んでいるとか

朝起きれなくなるとか

ご飯が喉を通らなくなるとか

 

そういうことは決してない

 

ただ

純粋に客観的なものとして

不思議に思っていたというだけ.

 

質素な旅館の廊下の壁に

どう考えてもそぐわない

けばけばしたハチドリ全面写真が掲げられているのを眺めるみたいに.

 

 

 

自分の生活をミニマルにすることに

少なからず喜びを覚えていた僕だけど

 

その生活が幸いをもたらしてくれるとは

どうしたって思えなかった.

 

 

 

ふう

 

ここまでが

ラットプルダウンを引く瞬間までの話.

 

 

さて

 

ラットプルダウンを引きながら考えていたのは

これまで出会ってきた人々のことだった.

 

その中には

1年くらい前から会っていない人もいれば

毎週毎月のように顔を合わせる人もいれば

ごく最近話すようになった人々も含まれる

 

 

そして

なぜそんなことを考えていたのかというと

 

その前々日くらいまで

懐かしい人たちが大集合する機会に携わっていたから

 

自分が去った組織において

後輩たちと新しい後輩たちが

生き生きと命を燃やしている風景に触れていたから.

 

 

それに

人に会いに行く予定があったから

 

それは正しく

今こうして

僕が新幹線に乗っているひとつの理由だ.

 

 

出会った人

これから出会う人

 

そんな人たちのことを考えていると

 

突如として

 

その人たちの存在が

自分にとっていかに大きいものであるのかに気がついた.

 

 

僕がその人たちに向けている愛情や

僕がその人たちから受け取っている親愛

僕がその人たちに見出す安心感

 

かけがえのないものだと思った.

 

 

そして同時に

僕の幸い何処かにあるのだとすれば

それはこの関係性の中に

見出される他ないだろうと確信を持った.

 

 

その人たちの幸いを実現するためならば

きっと何を失っても惜しくはないと思った.

 

 

もしも彼らが助けを必要としているのであれば

僕は自分ができる限りの全てを捧げよう

 

もしも彼らが僕の力の及ばぬ願いを持っていたとしても

少し時間をくれるなら

それが叶えられるくらいに強くなろう.

 

 

 

宮沢賢治の生きた信念には

おそらくふたつの元素がある

 

己を捨てること

そして

他者に尽くすこと

 

このどちらかが欠けて仕舞えば

僕らはきっと

掴みどころない暗がりに迷い込むことになる.

 

 

 

己捨他尽

 

結んだ言葉は幸いにつながっているのだろうか.

 

 

終着駅に至るまで

ぼーっと車窓を眺めながら

身動きの取りづらい個別化された空間の中で

贅沢な時を愉しんでいたい.

 

 

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