いずれへの

昨日の布団の中では書こうと思っていたことが

実際にブログを認めようというこの時になり

そんな気分ではないのかもしれないなと思えてきた

 

書くことによって恐らく追体験するであろう気持ちを

晴れやかな今

敢えて再現する必要があるのか

全くわからないでいる

 

 

センチメンタルなことはセンチメンタルな気分の時にこそ書き連ねるべきなのであって

自らセンチメンタルを迎えにいくことを喜ぶような瞬間は

そんなに多くはないのだろう.

 

 

そういうことで

センチメンタルなことは次にセンチメンタルな気分になった時に書くとして

ここは日記ブログらしく

この2日間の生活について記すとしよう.

 

 

因みにセンチメンタルという言葉を使う時には

必ずと言っていい程

羅生門』の中のサンチマンタリスムという仏語表現が思い出される

 

それはこれから書き連ねていく

この2日間の生活とは

なんの関係もないのだけれど.

 

 

 

実家に帰ってきた

 

 

コロナの影響でろくに移動もできず

帰るタイミングも掴めなかった中で

良いタイミングだろうと

帰省を試みた

 

 

とても落ち着いた平和な日々を送っている.

 

この数ヶ月の自分の生活の無機質さ

それから退屈や孤独や鬱々とした部屋の空気

 

そのようなものから解放されたこと

誰かとの生活

家族との生活

 

それが自分の心を癒してくれるような気がする.

 

 

これはともすればセンチメンタルへの扉を開いてしまう恐れがあるが

孤独という言葉は

すっかり自分の骨肉に染み込んでしまっているような気がする.

 

何のために生きるのか

何を幸せとするのか

何を求め暮らすのか

何を楽しいと感じるのか

 

いろいろなことが分からなくなっていた.

 

 

今もまだわからないまま

 

実家にいる僅かな時間の間に考えたいことでもある.

 

 

住環境が一時変わって

これほど心の軽さが違うのかと驚く

 

何事にも前向きになれるような

 

人はその動物的本能から

ひとりで生きるのには向いていないのだろう.

 

 

 

今日は入り口

 

これからの思索への扉を提示し

これからの逡巡への題目を俎上に載せる時

 

 

 

引っかかっていることは

ゆっくりと言葉にする時間を持ちたい.

 

 

 

孤独と幸せと

僕が人生に求めていくもの

 

 

遠くないいずれに

 

 

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