さまーばけーしおん

こんばんは、森川です。

 

今日から正式に夏休みです。

 

今年の夏休みの挑戦内容決めました。

 

1. 毎日運動

毎日のジョギングを欠かさず行います

 

2. デッサン

毎日30分、デッサンの勉強します

今日は参考書を買いました

明日からデッサンしていきます

 

これをデイリーホームワークとしていきます!!

 

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価値観という言葉を最近よく耳にする。

 

最近一般的に価値観の違いがあると言われている何者かの間にあることが多いようだ。

 

宗教、国籍、男女、などなど

 

 

その中で思ったのは、価値観の違いは当事者間では解決しようがないのではないか、ということだ。

 

 

何となくこれを議論するにあたっては、

どれだけ哲学的議論に踏み込むのか、

自分なりのスタンスを決める必要性がある

という気がする

 

 

実際感覚を離れた究極論にならないように。

 

価値観が違う2人がいる。

 

一方はaが正しいと信じていて、

他方はbが正しいと信じている

 

それどころか、互いに相手のために選択肢を選んでいると信じている

 

こんな状況があったとする。

 

この時に、2人が同じ結論を出すことは可能であろうか。

 

 

 

可能に思える。

結論cを出せば良いのだ。

 

 

でも、ことはそう簡単ではない

 

 

などということが言いたいわけではなく、

 

 

 

お互いに違う答えがベストであると思っている時に、

答えを出す助けを求めるのであれば、

それは他者であろう

 

 

そこで他者として意図されているものは、

人間に限らず、

尺度や、モラルなどと行った概念も含まれている。

 

 

仲裁の存在が必要なのだ。

 

 

言葉が出てこなくなった。

 

もうちょっと考えてみよう。

 

問題提起的な形で中途半端に終わってしまった