don’t know who i am

こんばんは、森川です。

 

思ったことを書き連ねていこう。

 

なぜこのブログが自分にとって大事なのか考えてみたら、

きっと、このブログに向かうということが、自分の中では自分に向き合うことだからだ、

と思った。

 

ブログという不特定多数に発信する媒体において変な感じかもしれないけれど、

ネパールでブログを書き始めて、自然と自分の変化に目がいくようになって、

そしたら自分にとって、ブログ=自己内省ツールになった。

 

 

自己内省ツールだからこそ、何も整理された考えを書いているわけじゃない。

その場で、1日を振り返り、思いついたことを書き留め、

書き連ねていくうちに、自然と自分の中での筋が見えてくる。

 

最初から計画など何もなくて、

書いていくうちに浮かんでくる方向へ、

引っ張られるように文字を増やしていく。

 

 

後から述べるかもしれないけど、

それが僕の一つの価値観を象徴しているようだ。

 

思うことの多かった1日には、何から始めたらいいのかわからなくなる。

 

最初の一言がわからなくなる。

 

 

そうだな、今感じている強い思いは、

もっと大人になりたい

ってことだ。

 

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大人になりたいな。

 

大人になるって何か。

 

相手のことを認められること。

相手の意見を聞き入れること。

自分の意見を芯に持ちながら、相手も立てて、

相手の意見を取り入れて、更にいいものを作れるようになること。

 

真に誰とでも対等に話せること。

 

僕は弱い。子供だなと思う。

最近何度も当たる思いだ。

 

自分の意見を曲げられない。

自分の行動に口出しされるのが大嫌い。

 

認めてくれる人を探してる。

 

自然人を選ぶことになる。

 

 

お山の大将

いや、お山の独裁者。

 

 

自分について知れば知るほど、

これでいいんだという思いと、

変える必要のある弱さが見えてくる。

 

 

 

今日は覚悟が問われた。

 

覚悟って何なのだろう。

 

自分が今まで持った1番強い覚悟ってなんだろう。

 

 

どんな人なら覚悟を持てているって言えるんだろう。

 

 

泣きながら覚悟決めるような自分には出会えない。

 

 

自分の中の根本にあるのは、

自分は行動にdrivenされる人間であるという認識、或いはある種の割り切り、だと思う。

 

いつかスーパーマリオカイジタイプっていう文言化をした。

 

 

行動していく中で、、これいいかも、、あれいいかもって思えてくる。

 

やってみないとわからない。

 

やってみて、見えてきたものを追求したくなる。

 

書いていて、常に楽しい環境に居られそうなやつだと思った。

 

行動が先に来て、そのあとで意義が来る。

 

行動してみて、楽しかったものに対してなら、いくらでも意義を見出していける。

 

 

対して、そうじゃない人もいる。

 

先に意義を求める人たち。

 

意義があって、そこに見合う活動を追求する。

 

意義にdrivenされるひと。

 

自分が設定した意義に対して自分が見合うのかどうか、それを信じられるのかが大事な人たち。

 

 

自分は行動にdrivenされる人間である。

ということは、まずやってみること。

そしてやってみて楽しかったことを追求している。

 

カイジタイプの人たちは、

先に意義が決まるから、

その中で楽しいこともあれば、苦難にも出会うだろう。

それを意義で乗り切ろうとする。

 

 

僕の中で、

自分を突き動かしてくれるのはワクワクできるミッションだ。行動の中で見つかるもの。

 

対して、辛い時、自分を引き止めてくれるのは責任感。

 

見つけたワクワクできるミッションを得るために、責任感で自分を引き止めることが必要。

 

その責任感が広がっている感覚はある。

仲間への責任、ミッションへの責任、顧客への責任。

そこはひとつ成長かな。

 

 

僕はずっと意義を設定してそれを追求していく生き方に憧れてて、

でもそれは自分ではないと知って、

そして割り切って生活できている。

 

自分を知ったからこその強さだと思う。

 

 

 

しかし、割り切っているからこそ、向き合わなければならないものに弱い。

 

逃げてるだけかもね。

 

最初の問いに戻ると、大人になること。

 

 

自分のワクワクにどうしても忠実でありたい。

それが楽しいとわかっているから。

 

楽しいと思ったことを追求しているからこそ、

それをすることにしか慣れていない。

 

 

だから、耐性がない。

自分を否定するものに対しての。

打たれ弱さが現れる。

 

 

自分を守りたいと思う。

自分のワクワクを守り抜きたい。

自分がいいと思ったことをしたい。

 

自己中心的だ。

 

 

他の人の意見を聞き入れられない。

自分を曲げられない。

 

 

お山の独裁者。

 

 

色々な人の意見を取り入れないと、いけないのはわかっている。

でも、否定されることが怖くて踏み出せない。

 

 

自分を否定するものに対しては徹底して排斥的になる。

 

相手を寛容に受け入れられない。

 

これが子供だなと思うところ。

 

 

 

ついてきてくれない人はいるよ。

いたよ。

 

 

 

それが辛いことを相手に押し付けている結果になっているかも知れないなんて、

考えられてない。

 

 

大人にならないと。

 

 

自分が行動に喚起されてワクワクを追求できるのは、ひとつ長所だと思う。

 

 

"そこに他者は含まれているのか。"

そう問われたことを覚えてる。

 

 

 

自分を引きとどめてくれる責任感に、他者が出てくるようになった。

 

成長だと思う。

 

自分のワクワクできるミッションを追求するには、周りを巻き込まないとな。

 

そうなった時、自分は他者の意見を聞けるか。

 

認められるか。

 

 

 

自分が間違えなければいい。

自分が強くなればいい。

って考えてきたけど、それだけじゃダメなんだ。

 

 

自分の物差しで測るのを見てやめて、

相手を認めること。

 

 

いつまでも好き勝手やってるだけじゃあかんよな。

それじゃあ家の庭を荒らしながらサッカーボール蹴ってたころと何も変わらない。

 

 

Inclusive Leadership 

 

 

 

 

 

自分を認めて、次のステップを進む。