救い

自分は結局今日1日をどのように過ごしたのか。

 

朝起きるのがつらくて、

朝の時間を浪費する。

 

 

用事に出かけ、

したいことはできず、

すべきことは終わらず、

そしてまた寝付けない眠りにつこうとしている。

 

 

はぁ。

 

変えたいけど、変えられない事態もある。

 

 

自分の手が届かないということが、こんなにも辛いのか。

 

 

何を大切にするのか。

 

何を追い求めるのか。

 

何にインスパイアされるのか。

 

壁を重荷としか捉えられない。

挑戦にできない。

 

 

挑戦に向けてくれる人の存在。

 

 

 

どうせ誰も自分のことなど気にかけてはいないし、

人は究極に自己中心的な存在である。

 

自分が責任を持つべき領域に対して、他者が同じくらい考えてくれるなんてあり得ない。

 

 

自分が普段生活しているとそう感じる。

 

 

でもちょっと離れたところにいる人たちと話してみたら、そうでもないのかなって感じられる時もある。

 

 

慰められるというか。

 

 

 

しかしながら、やはり人間とは自己中心的な生き物であって、もし他者に救いを期待しているならそれはShitだと言うほかない。

 

自分が何とかするしかないし、なんとかならないのであれば、それはできないことなのである。

 

それに気づけば諦観に入る。

 

 

気が向いたら一歩下がり、そそくさとそこを後にして、カリフラワーでも囓る。  

 

 

そんな生活を続けていくうちに、いつのまにか角に追い詰められ、もはや逃げ場なし。

 

王手。

 

 

 

とにかく、

しかしながら、やはり人間とは自己中心的な生き物であって、もし他者に救いを期待しているならそれはShitだと言うほかない。

 

この価値観は持ち歩くべきだろう。

 

その方が物事はうまくいくし、何より裏切られたような気持ちになる必要もない。

 

 

もし仮に救いが訪れたとして、その方が喜びが大きいだろう。

 

 

自分を救えるのは自分だけ。