マハル

こんばんは、森川です。

 

今日は久しぶりに贅沢に晩御飯食べてしまいました笑

 

美味しかった。

 

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インドカレー食べててネパールをふと思い出した。

 

味覚に残る記憶。

 

毎日通った村の料理屋を思い出した。

 

最後の店は絶対あそこにと決めていたよな。

 

 

ネパールはヒンドゥー教と仏教の国。

 

どちらもうまく融合してる。

 

自分が英米文学を学んでいることもあって、宗教的世界に触れる機会が多い。

 

キリスト教世界、とか。

 

信仰ってなんなんだろうか。

 

この前聞いた話。

 

宗教は、理解され得ないもの。

理解できるものなのであれば、それは学問である。

 

宗教は、理解できないものであり、信じるものなのである。

 

信じる事こそが宗教を受容する事なのだ。

 

 

僕は特に信仰を持たずに生きてきたと思う。

そう思ってきた。

 

 

でも、当たり前って、実は信じているだけだってことが沢山ありそう。

 

道徳、規律、世界の成り立ち、他者の存在等々

 

 

信じるという行為は、宗教の文脈に基づくと途端に敬虔な難しそうなものに思える。

 

でもきっと、自分が信じて救われている当たり前ってたくさんあるはずだ。

 

だからこそ、信じるものは救われるのだ。

 

生活に根付いている信じるものの影。

 

それはあくまでそのままに、信じていることにも気がつかない自分を、大事にすべきなのではないかと思う。

 

えんやらや、えんやらや

って、よくわからず唱え続けた少年時代。

 

今思えばあれは農村地帯だからこその豊穣を祈る儀式の名残。

 

 

よくわからず言霊を繰り返していることも、

いつのまにか信じていることに救われていることも、

どっちも肯定していいんじゃないかな。

 

よって立つものが強固であればあるほど、踏ん張れそうだし。

 

沢山の価値観や生き方に触れたい。

 

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