無き一歩

https://halk-moririn.hatenadiary.jp/entry/2018/11/25/005133
最初の1ページ.

 

改めて生活に栞を挟むようになってから、

1年を迎えようとしている。

 

いつの間にやら。

 

 

あっという間の出来事だったなぁ。

記憶に残っていることの如何に少ないことか。

 

失ってしまったものの多さにめまいがする。

 

見返せば

栞を挟んでいる瞬間は追体験できるのだが.

 

 

昨年9月、

ネパールでの6週間のボランティア生活を経て、日本での生活に戻り始めた頃

 

 

僕の心を占めていたのは過去に対する虚無感.

 

6週間、日常を離れ、これまでの自分を客観視できた.

 

自分はどれほど時間を無駄にしてきたのだろうと思った.

なんとなく上手くいっている風なのが心地良くて、

なんとなく自分に力がある気がして浮ついて、

僕に残っていたのは殆ど無であった。

 

Alomost Nothing.

 

素敵な環境を手に入れて、

たくさんの挑戦の機会を目の前にしながら、

いつも一線を超えることをせず、

ただ上手くこなして認められた気がして、

満足していた。

 

 

それに気がつき、そしてそんな自分が、とても歯痒くなった。

 

 

 

環境を変えることを考えもしたけれど、

あの頃は巻き込んでくれる人がいて、

巻き込まれたいとも思うようになってて、

いつ沸いたとも知らない勇気と熱意と共に、

次のステップへと踏み出そうと思った。

 

 

 

それが、最初の1ページを綴った頃の話.

伏見稲荷を訪れた日.

 

 

挑むことが自分を満たしてくれると思っていた。

だからこそ、信念を貫いて生きる1年にしようと誓った。

 

 

今の自分.

 

あの頃から、一歩でも前に進んでいるだろうか。

 

訪れているのは虚無ではないのか。

 

 

この1年を見返して、僕が得られたものは果たしてなんであったか。

 

 

信念を貫く1年にしようと思っていた。

 

 

今、自分は何を信念に生き、一体何を創り出せているというのだ.

 

 

結局僕は、まだ何も前に踏み出せていない.

 

いつまでも、心弱く、訪れない救いにすがり、満たされなさを悲しみ、自ら虚無に歩んでいく.

 

 

 

今のまま、今年度、終わったとして、

お前は果たして満足できるか.

 

終わった時、何を思うか.

 

 

きっと虚無しか得られない。

いつもそうだ。

 

どこかで頑張りきれない自分を自覚しながらも、

その日をなんとかして凌ぐことに心を注ぎ、

訪れるべき虚無を諦観している。

 

 

つまらない。

 

 

 

きっとまた、虚無を迎えて終わる。

そんなことは分かっている。

いつもそうだったのだから。

 

 

5月の頃だったか。

何のためにやっているのか分からなくなった。

 

どこまでも救われない活動だあることを悟った。

 

 

 

 

 

自分がどうしようもなく思えたあの頃.

ネパールの孤児院の屋上で、

自分の空虚さを知り、

信念のないことを悩み始めたあの頃.

 

 

巻き込まれ、

いつの間にか挑みたいと思い、

信念を貫くことを希求したあの頃.

 

 

あの頃から、僕は一歩も進んでない。

 

 

今もずっと逃げ続けてる。

 

 

もう辛いんだ

面倒なんだ

やりたくないんだ

 

 

そんなことすらも思わなくなっている.

 

 

 

 

自分という人間の拠り所のなさを思う。

 

結局、どれだけ飾ったところで

自分という人間が何かに基づいていなければ、

自己を喪失したまま.

 

肩書きや、立場でどれだけ色付けたところで、

それを行う自分自身が安定しなければ

何も得ることはできない。

 

失い始めるばかり.

 

 

"自分"という存在がわからないままでは、

何をやっても一生この堂々巡りから抜け出せない.

 

僕は何に拠るのだろう.

救いは来ない

探すのは自分

 

 

 

 

べき論にがんじがらめにされている。

 

 

何のために

誰のために