5月。

久しぶりに栞を挟んでみる。

 

 

5月はひたすら辛かった記憶しかない。

 

長い長いゴールデンウィークが明けてから、自分は何をやっていたのだろう。

 

もちろん楽しいことも幾らかあった。

でも、基本的に苦しかった。

 

ひとつ、困難が去り、晴れたかと思いきや、また別の困難が現れたり、

あるいは解決したと思っていた課題は解決していなかったり。

 

今も。

心の重荷を抱えながら生活を送っている。

 

たまに楽しいことも。

サプライズな事業成果がでて、これからに胸ふくらませている自分がいる。

 

団体には新入生が入ってきた。

 

 

苦しいことが続いていると、ポジティブな思いを持つことが難しい。物事の負の側面ばかり見てしまう。

 

ここから逃げ出せたらどんなに楽だろうかという思いが頭をよぎることもある。

その度にここで自分が去ることで、重荷を受ける人が存在することに半ば絶望にも似た思いを抱く。

 

 

愛おしさを忘れずに活動したいと思ったのは3月後半だったはず。

 

あっという間に2ヶ月が経った。

 

愛おしくてたまらない1年間の中で、苦しい中、もがきながら前に進んでる気がしない中でその内の2ヶ月を過ごした。

 

自分が経験できるはずだったこと。

自分が過ごしてきた日々。

 

 

夢見ているだけじゃ出会わない困難と苦難に悩まされてきた。

 

 

5月。

 

気づけばあっという間に5月が終わろうとしていて、華やぐ季節はすでに過ぎ去り、吹き上げる風は夏の匂いがする。

 

いつのまにか20歳になっていて、いつのまにか3年生と書くことに慣れていて、1日も1週間もひと月も、いつのまにか終わっている。

 

目の前の困難に押しつぶされそうになりながら進んできた中で、その先にあるものを見ている余裕がなかった。

 

今しばらくもないだろう。

 

悩みは活動の意義を問う。

活動の意義は所属の理由を問う。

そして所属の理由は過ごす時間を問い、

過ごす時間は現在の生き方を正負において問う。

 

それで何が進むかというと、全く何も進まない。

 

悩みは何にも基づいていないから。

 

WantとDoingがあるかどうか。

これが悩みと思考の差。

 

成長を前進と捉えるならば、

WantとDoingを意識すること。

 

経験のない成長はない。

それはアスファルト砂の城を組み立てようとするようなもの。

砂がないと砂のお城は作れない。

 

経験しないと人は前進することができない。

経験を振り返るからこそ意味がある。

経験があって初めて、それを振り返り血肉にすることができる。

 

例えWantがなかったとしても。

 

自分に言い聞かせる。

 

経験は後からいくらでも色を塗れるから。

 

何に向かっているのか、何のためにやっているのかわからなくなってしまうような壁が次々と襲ってくる。

出会うたびに少しずつ拳をすり減らし、集中を削がれ、バッドエンドが頭をもたげる。

弱り、そしてKO直前。

 

5月はそんな風に過ぎていく。

 

経験したことを大切に。

辛い記憶をFade awayさせないように。

後から色を塗るためだ。

 

 

だからこそ、この忙しい日々に栞を挟むことが必要なのだと思う。 

 

 

 

今日は帰宅し、辛い気持ちと心の重荷を抱いたまま、何もできずただyoutubeを見ていた。

 

youtubeを見ていて、ストリートサッカーの動画と出会い、ウズウズして、家の中だけどサッカーボールでスキルを練習した。

 

時間を忘れて、できるようになるまで取り組んで、没頭して、心が少し晴れた。

 

文字にしてみる余裕ができた。

 

文字にしてみて、書くことで整理される自分自身を実感した。

 

 

没頭できる心の逃げ場を作ること。

そして感じた思いを文字にして、文字に辛い思いを移していくこと。

 

これが自分に必要なのだと知った。

 

この忙しい糞みたいな日々だからこそ、一息ついて、洒落たフレーズでも書き留めるみたいに、思いを言葉にしていこうと思う。

 

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