去り際に想いを馳せてみる

こんばんは、森川です。

 

大阪帰ってきました!

 

今回のようなハコモノイベントがあると、やっぱりハコモノロスに襲われますね。

 

あんなに賑やかに、同志たちと楽しく、苦しいプランニング生活を送っていたのに。

 

あっという間に日常。

 

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自分が今いる環境は最高だなぁと思います。

 

この団体に所属して、一つの事業局を持たせてもらって。

 

感謝しかない。

 

 

東京での所属団体の会議をしていて、その会期中に全員が、自分自身の夢を紙に書き、それを見せながらそれぞれ写真を撮るということをしました。

 

そのアルバムを見ながら、この団体にいるという特権を失いたくないなと思った。

 

僕らが属しているこの一つの団体、アイセックの中で、僕らを結び付けているのはたった一つ、

 

Peace and fulfillment of humankind’s potential

 

というビジョンだけ。

 

これを掲げながら活動できることに、喜びしかない。

 

 

ふと、自分がこの団体を辞めた時のことを考える。

 

僕はこのビジョンを掲げ続けながら生きられるのだろうか。

こんなに青臭く夢を語れる場所があるだろうか。

みんなが相手の夢を聞くことにワクワクしていて、共に夢を共有することに喜びを感じているような空間に、再び出会えるのだろうか。

 

 

日々の活動は、どうしても辛い。

やることは沢山あるし、目指しているものは大きすぎるし、たくさんの人に向き合って、巻き込んで、進んでいかなければならない。

 

それは一つの責務であるといえる。

 

 

 

活動している中で、自分が目の前のことに埋没している時には、大事なものには気がつけない。

あるのは追われている感覚だけ。

 

 

 

しかしふと、大きなターニングポイントである国内総会を終えて、終わりを疑似体験した時に、ふと今の自分の幸せなことと、それを失う時が必ずやってくるということへのちょっぴりの恐怖が湧いてきた。

 

 

昨日今日と、この団体を卒業した/しかけている人たちの話を沢山聞いた。

 

 

改めて活動できることへの幸せを噛みしめる。

 

 

走っている間には、なにを目指しているのかてんでわからなくて、ただただ大変だと思われて、苦しくなることもあるけれど、ちょっとだけ視点を変えて、じゃあこの環境を失った時、果たして自分はどうなるのだろうと思ってみて、愛おしさを感じずにはいられない。

 

胸が熱くなる。

 

 

そうだな、愛おしさ

 

なんだか変な表現だと思うし、自分が先頭切って活動しているこの団体に対して、中から愛おしさに焦がれることは気持ち悪いけど、

 

少なくとも、AIESECの素晴らしさを改めて体感して、たくさんの仲間を見つけて、苦しい課題と共に帰ってきた自分が、去り際をに想いを馳せた時、愛おしさを感じたということ。

 

”Peace & Fulfillment of humankind’s potential”のビジョンが共通項ではなくなる可能性があること。

 

 

そしたら僕はどうやって生きていくのだろう。

 

 

今はとにかく感謝と共に、今に必死に、未来に浪漫を描きつつ、もう暫くは勢いに任せた荒っぽい理想を、荒馬のごとく追い続けていたいと思ってる。

 

楽しみながら。

 

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