こんばんは、森川です。
今日は朝から低体温で頭痛がひどかった。
ちゃんと睡眠取らないと。
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今日は所属団体のミーティングに参加したのですが、そこで感じたことが1つ。
"絵を描けてないな"
「今年1年で何を達成したいですか」
という問いに対して、一人一人が答えていく中で、1人の答えを聞いて感じたことです。
今、向き合っている物事、目指している物事がある中で、達成した先に自分はどんな絵を見れるのかを描けていないことに気がついた。
数値とか、ロジックとか、その指標の意味は見つけてきた。
でも、実際にこれを達成した先に自分はどんな絵を見れるのかがイメージついていなかった。
いつもだいたい、自分が活動する際のエネルギーは、達成した際のイメージだった。
今の団体に入ったのも、新歓でのプレゼンを見て、自分が先輩たちが熱弁していた場所でプレゼンしてみたいと思い描いた(妄想したと言っても良いのかもしれない)からであり、活動の中でその思い描いた絵に近づいているかどうかが活動を選ぶ際の軸だった。
なんだろう。うーん、、
それがプラスエネルギーで動いているっていうことだと思うし、これまでずっと自分にとってのエネルギー源だった。
なりたい自分になること。
なしたい姿を描くこと。
自然とそれが頭に浮かんでくる感覚。
自然とそれが決断の際、頭にちらつく感覚。
それが自分にとってのワクワクではなかっただろうか。
それが思い描けていない今の自分は、だからこそ、こんなに悩み、こんなに迷い、自信を持ちきれないのだろう。
なりたい、なしたい、叶えたい自分の姿を思い描いて、それに対して着々と進んでいる感覚。
頭にちらつく成功イメージを、ひた隠しながら、照れ隠しながら追い求めている感覚。
問題は、どうしたらそのイメージを手に入れられるのか。
先に述べた大学入学後のプレゼンは憧れ。
部活でひたすらに勝利を目指していたあの努力は勝利への渇望や闘争心。
リフティングや、入試や、期末テストを頑張ってこれたのは、周りよりすごい自分でありたいという自尊心と、褒められて育てられてきた過去。
相手をあっと驚かせくて、相手にすごいと言わせたくて、リフティングにのめり込み、勉強し、テストに熱を注ぎ、持久走の練習をしていた。in Gifu days
これが自分にとっての大きなモチベーションであることには疑いはない。
きっとプレゼンで憧れたあの瞬間から、1年間持ち続けていた成功の絵も、根源的には同じだろう。すごいと思えた舞台に立ちたいから。
思い描いた空想を実現するっていう、
こう書いているときにリビングのソファーでテレビ番組には目もくれず、コタツを囲む家族の会話も耳に入らず、一心不乱にファンタジーを読み漁っていた小学生の頃の自分が思い浮かんできたのはなぜだろう。
そんな少年のような、
周りの騒音に背を向けて、魔法界の物語に心を奪われている少年のような、
まるで自分が剣を持ち、杖を持ち、ドラゴンやケンタウロスや大蜘蛛や悪の魔法使いと戦っている気持ちになっていた少年のような、
空想の追求と実現こそが僕の大きなエネルギーだ。
鍵は、
・憧れられるのか
・ワクワクできるのか
・自分の姿が想像できるか
・そしてはっきりとくっきりと、その像を描けているのか
になってくる。
そう考えると、そのエネルギーを起こすにはきっと、
自分の中で文字にし、物語にすること
感動に素直になること
やりたい、なりたいを自分で否定しないこと
人がどう思ってくれるのか、どう反応してくれるのか考えること
が大事なんじゃないかな。
今の僕のままでは、
この成し遂げたい”絵”は自発的に生まれてくるもので、自分から作り出すものではない。
絵を見たとき、それを言葉にして、逃さない。
それが第一歩だと思った。