こんばんは、森川です。
名前をつけるのって大事やなぁって思った現在です。
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僕は学生NPOでひとつの事業のリーダーとして歩み始めたばかりですが、これからの発展も描けず、メンバー達への責任をどう果たしていけばいいのか、試行錯誤する毎日でもあります。
その中で、今さっきふと感じたのは、
名前をつけるって大事だなあと。
チームの名前を決めたかった。
(明日のミーティングで持ち寄ってきた候補から選出!ってことになっているのですが、それをずっと考えていました。)
自分が事業の中にいて戦っているときは、実際今自分がどこにいるのか、わからなくなってしまうことが多い。
でも、チーム名をつけるってことは、一度自分の置かれている状況を客観視して、何かに自分たちを例えようとする行為。
例えようとするってことは、つまり自分たちをある種シンボライズしなきゃいけないってことだ。
そうすると果たして過去の流れの中から、自分たちは今どこにいるのかが少しだけ鮮明になった気がする。
そして素敵な名前をつけようとするからこそ、自分たちがどうありたいのか、ということや、自分たちは何をなすために集まっているのかというようなことごとが、頭の中に湧き出てくる。
そんな感覚は大事にしたいな。
言葉を使うってのは、自分の考えを表すためのものだけじゃなくて、自分の気持ちを伝えるためのものだけでもなくて、自分が今どこにいるのかをシンボライズすることだってできるのだなと、言葉の持つ素敵な力に感銘を受けた夜でした。
(前身のチーム名は"柊"でした、それを踏まえて)
僕の渾身のチーム名案
"梧桐"
(あおぎり)
長く険しく、しかし開花に向けて力を蓄え、確かな基盤を作り上げた柊の照り映える冬を経て、
花咲き乱れる春にしていこう。
切っても切っても生えてくるような桐みたいな愚直さとしぶとさを持ち続けながら。
そして終わりの時にはいつの間にやら、夏まで通り越してしまっていよう。
さあ、採用されるのか!