1984年

こんばんは、森川です。

 

弟がポケモンやってるのをみてポケモン欲がなかなか高い現在です。

 

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年末に読んだ本で、未だに頭を離れないのが、オーウェルの"1984年"です。

 

僕の頭の中で、この作品から考えさせられたことが頭の中をぐるぐると回っています。

 

大学の英文学の講義の中で、ジョージ=オーウェルという作家について彼のルポルタージュについて学ぶ最中、頻りに名前が挙がったのがこの作品でした。

 

以前から気になってはいたものの、なかなかタイミングがなく、この度読んでみました。

 

 

結論としては、この作品は平和の対極状態を描いているのだと思っています。

 

全ての生活を国家にコントロールされ、生産のために働き、権威のために働く生活。

 

心の中も安全ではなく、少しでも国家に危害を加える可能性があると考えられた人々は、行動してなくても、"思想犯罪"として、捕らえられ、消されていきます。

 

 

自由・平等なんてものは存在せず、欲求すら否定される世界。

 

 

ただ、この状況って起こり得るというのが今日の気づきです。

 

情報化社会の中で、自分たちが触れる情報は全て誰かが管理可能である状態。

 

思想犯罪が現実になる。

 

 

1〜2年前に国会で話題になった"共謀罪"も、心配されていたのはあるいはこの点ではなかっただろうか。

 

 

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平和の形はそれぞれだし、

平和の反面教師の形もそれぞれ数多あると思う。

 

とにかく僕にとって多くを問いかけてくるこの小説は、目指す姿の反面教師であるし、起こり得る未来への喚起でもある。

 

 

自由で平等で戦争がないことを真っ向から否定する"1984年"の世界がここまで問いかけてくるのは、僕にとっての平和観にはこの3つが重要だからではなかろうか。

 

 

ただ、それだけじゃない。

 

僕たちが考えることはだいたい先人が考えているっていうのがいつか言われた言葉だけど、もっと多くの平和観や、望む姿に触れたい。

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