こんばんは、森川です。
本日成人式でした。
5年ぶりに会う小中学校の同級生も、意外とぬるっと話になるものだなあと。全然違和感とかもなく、自然といつもの集まりのような雰囲気を感じられたのが不思議でした。
(もうちょっと久しぶりの違和感のようなものを感じるのかなと思っていたけれど。)
ただ、どうしてもあんな格式張った式は苦手です、、、
並べられたパイプ椅子に座り、痒くなる足を尻目にコピー機から生まれ出たような祝辞の数々を耳に入れる。
翻って、小中学校からの恩師の言葉はやはり温かい気持ちになります。彼らのことを知っていて、彼らに面倒を見ていただいたからこそ生じる師弟愛のようなものでしょうか。
(学校の先生という人物が伝えることに秀でているという側面もきっとあるだろうとも思いますが)
あまり記憶にない昔話を思い出として語られ、なんとなく昔を思い返し、今の自分を見つめ直す瞬間。
僕はどれだけ成長できただろう。
成人というものは、徒らに権利を与えられ、義務やら責任やらを背負わなければならないようです。
"これから社会に出て行く皆さんには、責任が伴い、、、"
"大人としての義務や責任が生じ、、、"
知ってる。多分。そんなことは。
一体20歳になったところで、何が変わるというのだろう。
その数字の変化に伴って、まるで戦闘力をはね上がらせる変身みたいに、体や心が変化するわけではない。
ただ、自分のことくらい、ちょっとはわかってきた。
ちょっとは体型的に考えられるようになってきた。
自分のやりたいことや好きなことを実現することの難しさも、そこに責任が生ずることも、人のために義務を尽くさねばならないことも、だんだんわかってきた。
実現のために自分が持てる選択肢を、全く不条理に妨げられることなく、行使すべきことの大切さも感じてきた。
じゃあ一体、自分は何を選ぶのか。
成長したか。
自分の成長なんて、それを考えられるようになったことくらいかもしれない。
あの時中学校を卒業してから、僕が身につけられたことってなんだろう。
多少パワポを綺麗に作れるようになったことくらいかもしれない。
5年前の自分からの手紙を読んで、5年前の森川悠希が意図したように、5年前のことを思い出すには至らなかったけれど、
まだまだやと、思った。
5年前の自分の問いかけに自信を持たないようでは。
"あなたは、自分の好きなことを見つけられましたか? もしあれば、それに向かって精一杯努力していますか?"
まだ、足りない。
好きなことは見つけられたと、自信を持って彼に伝えたい。
"精一杯の努力"
くそ、これができていない自分は自分を誇れない。
今を見つめ直すことはあっても、遠い過去から今を見つめ直す経験はあまりしたことがなかった。
過去の自分に誇れるように。
拝啓 森川悠希様