命を頂く

宮沢賢治の詩を背景に飾りながら

 

食事を管理し始めておよそひと月.

 

 

既に2ヶ月ほど継続してきたトレーニング習慣とも相まって

 

自分の身ひとつを大切に

生きる上での軸を設えることが

 

身につき始めているようである.

 

 

ここの所は毎日

同じような食事を続けている

 

調味料などは一切使うことなく

 

鳥の胸肉や野菜に芋類

それからきのこ類などを

蒸して作る素材そのままの食事.

 

 

メロンパンを食べかた仕方がなかった欲望も

いつの間にか消え失せていて

 

素材が本来持つその旨味を

有り難く

味わうことができるようになっている.

 

 

茹で卵をひとつ口にして

命を頂いていることの実感が

沸々とこみ上げてきた今日

 

 

こうした質素な生活が

自分を根底から支えてくれていることに

穴に陥るが如く

思い至ったのである.

 

 

現代の社会を見渡せば

モノが溢れかえっている

 

 

生活できることが当たり前になったことで

誰もが消費者として際限なく

ただ落ちて行く生活の中にいる.

 

 

人生に幸せを作り出す機械は幾らでもあって

 

沢山の魅力的なテーマパークも

心を広げられるような雄大な自然風景も

或いはUberEatsやAmazonでの買い物も

 

僕らは限りない荒野に

幸せの種を探り求め続けている.

 

ソーシャルネットワークに身を浸し

絶えず種の匂いを嗅ぎ回り続けている生活

 

それに加えて

例え中古ゲーム屋まであの中距離のドライブをすることなくとも

スマートフォンファイナルファンタジーをプレイすることだってできる世界なのだ.

 

 

誰かの幸せな1日の情報で

溢れかえっている日常に住めば

 

同じような幸せを渇望することからは

きっと逃れることなどできないだろう.

 

 

そうしてまた

暗闇に際限なく幸せの種をまさぐり続けて

見つからない人生を嘆きながら

ひとり家の中で過ごすのだろう.

 

 

際限のない楽しみで溢れかえっている世の中

 

そんな今だからこそ

質素倹約な生活が

僕らにとっての希望になろう.

 

今の僕らに必要なことは

絶えず足ることを知ることであり

 

求める必要のないものを

識別する眼力を養うことである.

 

 

茹で卵をひとつ食べて

生きていることの喜びを感じられるこの生活は

 

満ち足りたものでないと誰が言えようか.

 

 

欲望は一度陥れば際限がなくなる

 

幸せと知るべきことが無に変わり

幸せと得るべきことが失われて行く.

 

 

それがきっと永遠の消費者の肖像で

彼らは

退屈を遊ばせる以外には

もはや生きられなくなるのだろう.

 

 

ひとつの卵の尊さを知ること

ひとつの茹で卵の旨さを味わうこと

 

 

足るを知り欲はなく過ごすことでこそ

欲は満たすことができる.

 

 

そういう者になりたい.

 

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