曖昧な善悪

ここ10日ほど何となく書くことが億劫になっていたような向きがある.

 

きっと真新しさというものがあまり現れない日々の中で

書くことに更なるパワーが必要になったからだろう

 

書くことはただ書くというだけではなくて

自らを顧みて

記憶を選び取り

そして創り出すことが必要になるから.

 

 

近畿の緊急事態宣言が解除され

町は少しずつ日常への復帰に向けて歩みを進め始めた

 

しかし緊急事態宣言が解除されたからといって

そこで人の心が変わるわけではないのだろう

 

 

自粛という言葉は人のモラルを前提とするから

人はその境界線を恐る恐る探っているようだ

 

 

全くもって善悪のはっきりしない状態が生み出されているではないかと思う

 

 

僕は僕で

実際殊更自粛を信奉していたわけではないけれど

振り返ればこの数ヶ月

生活の大半を味気ない小さな下宿のひと間で過ごし

いつのまにか心もそのまま

この一室に閉じ込めてしまったようなのである.

 

 

多くの人々が緊急事態宣言の解除をきっかけとして開放の瞬間が現れるのだと

そう信じていたのはおそらく数ヶ月前の話であろう

 

きっと大半の人たちは

その時自分が果たして何を望んでいたのか

もう思い出すことも難しいのではないかと思う

 

恐らく買い物に行きたいだとか

おいしいレストランで食事をしたいだとか

テーマパークで遊びたいだとか

たくさんの希望を抱いていたはずなのに

 

今目の前にあるものは開放などでは決してなく

境目の見えなくなったモラルへのためらいと

家の外の生活を想像できない自らへの遣る瀬なさなのではないだろうか

 

僕は既に

自分が何を希望していたのかを思い出すことができない

書き留めたものもあるのだけれど

込められていた心は戻ってくることはない

 

 

果たして僕はどのように生活していたのだろう

この家がただ寝て起きるだけの場所であった頃

どのように1日を組み立てていたのだろう

 

何に喜んでいて

何を希求していたのであったか

 

 

家に篭り続けていたことで

心の放出の仕方がわからなくなっている

 

 

僕らは今人類の歴史において

一つ大きな節目に立っているのだと言える

 

誰もが取り戻せると夢想した人心は変化を止めることがなく

道徳は曖昧という枠組みを新たに手に入れようとしている

 

楽しみ方も喜び方も怒り方も哀しみ方も変わるのだろう

無くなってしまうことだってあるかもしれない

 

 

 

だからこそ僕は

今一度自分の心に目を向けて

人の心に耳を傾けて

歩き方を考えていきたいと思う.

 

 

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