2019年

もう2020年だ。

 

何はともあれ

区切りということで、この1年間のブログを全て見返していた。

 

 

果たして、今年はどのような1年であったのか。

 

もっともっと書き留めているものたちを、ひとつひとつ見返して、自分のこの1年を余すところなく眺めたいという思いはあるけれど、

今日は時間がなさそうなので、また起きてから。

 

 

ひとまず、振り返ってみた今、思うところを綴る。

 

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今年が始まった時と、最近とでは、自分の色が変わっているような感覚がある。

 

頭を占める事柄が変化していること。

それは表出する言葉の変化に見て取れる。

 

 

 

読み返していて、ノスタルジーを感じてしまうような。

 

 

今年の始まりの頃、僕にとって大事なのはただひとつであった。

 

 

今、この大学生の自分が所属し、責任を負う団体の中で如何に発展を起こし、変化を作り上げていくのか。

 

全く以って先行きを見通せず、苦しみながらも、考えることに挑み続けていた。

 

僕にとってはそれが全てだった。

 

どのように成長させるのか

自分はどうあるのか

どう変わるべきなのか

 

拙いながらも愚直にそれに向き合っていた。

 

 

初夏、絶望を味わい、想いは少しずつ移ろいの様相を見せ始める。

 

自分自身が報われないことを悟り、見方が変化してきた。

 

晩夏、だんだんと世界が広がりを見せ始めた。

全てが全てでなくなり、全ては遂にひとつになった。

 

 

 

 

今年の1年で、僕の中に信条として、形成された思想がある。

 

#ひとは常に失い始めている

#生きるとは選び取ることである

#救いは決して訪れない

 

これらは変わらず、自分の中に生き続けている。

 

 

どんな激情も、感動も、いつかは失われてしまうものである。今も僕は何かを失い始めている。

それを受け止め、意識して、生きること。

自分が何を選び、何を選んでいないのか。

何を失うことを選び、何を失わないことを選んでいるのか。

それが問われる。

自分の手で、選びとらねばならない。

 

それが僕の真理になった。

 

 

 

この1年、僕は何を選択してきたのだろうか。

そして、何を選択してこなかったのだろうか。

 

ブログや、日記や、対話を通して、自分に問い掛け続けてきた。

自分が何を感じ、何を求めるのか。

 

 

その結果、掘り起こされるべきものは、あらかた掘り起こしてしまったのではないか、とさえ思われる。

 

人を規定するのは過去であり経験である。

 

何も得るものがなければ何も規定する手立てはない。

 

 

僕はこの1年で、物事への関心や、社会の理想や、人々の心の機微に対して全く目を向けないようになってしまっている。

 

 

内面に全てを帰着させた結果、外の物事への価値づけができなくなっている。

 

失ってしまったもの。

 

 

だめだ、これ以上書くことができない。

 

 

力尽きる。

 

 

書けない時には本当に書けないのだということも、今年学んだこと。

 

 

不満足を残して、もやもやしながらも、今日は一旦ここで終いにする。

 

明日、改めて新年を生きるその時に、

丁寧に書く時間を取ろう。

 

かっこ悪い年越しだ。

 

年越しだからなんだと、考えていることそれこそが、今の自分を象徴している気がするのである。

 

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