拠り所、について考える。
いろいろなことに取り組む中で、
ちょっと疲れてしまったみたいだ。
まだ何も成していない。
言ってしまえば、何も始められていないに等しい。
何もやりきれずに終わりたくない。
そんな思いがまとわりついている。
しかし、ふとすると、いつの間にか身動きが取れなくなっている。
何もできない。
何も起こせない。
前に進む勇気が出ない。
頭を動かす活力を起こせない。
果たしていつまでだっただろう。
頑張る時、
誰かの顔が浮かんでいたのは.
もはや、誰のために取り組んでいるのかもわからない。
そんな事実が途方もなく苦しい。
誰のためにやっているんだろう。
誰の喜びを増やせるのだろう。
誰の顔も浮かばなくなっていて、
自分の意義が見出せなくて、
勇気がなくなる。
今も、この先も、
何を支えに生きていくべきなのか、
全く見えなくなってしまった。
ずっとずっと追いかけるものなどなくていい。
その場その時、自分だからこそ増やせる喜びを最大化できることをする。
頭ではわかってる。
でもどうしても、
誰のために生きたらいいのかわからないことの不安に出会う。
誰かに寄りかからなければ生きていけないのだろうか。
誰かに価値を届けることが人間の生産活動であり、人間の本能であるというのは、
果たして真なるか。
何がなんだか、どうしようもなくわからなくなってしまうことが多い。
わかっていることとして.
今の僕のこの活動は、果たして誰の喜びを増やすための活動なのか。
単純に、その答えが自分の拠り所にならないことに、非常な不安を抱いている。
誰の顔も浮かばなくなってしまったのは、
果たしていつからだろうか。
落ち着かない。
心が沈み騒ぐ。