こんばんは、森川です。
さっき投げたばかりだけど、この感情の文言化は大切だと思うので、書き切ります。
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アジアカップ、負けました。
1-3
僕が今感じているこの感情ってなんだろう。
残念?悔しさ?失望?絶望?疲労感?
晴れ晴れしさ?感謝?尊敬?
うーむ、、、、
僕の中でこの感情とともに浮かぶイメージは、黒いつぶてに体の中の、胃と心臓の間らへんを突き刺されたような像。
この形をとる感情は、果たしてなんなのか。
前半、全くと言っていいほど日本のペースが出ない中、2点を決められて、
もしかしたらダメなんじゃないかって、感じてしまうハラハラとした思いと、それでも逆転を心から信じている、優勝を心に描く思いとが、心に渦巻いていた。
後半、開始直後から、ゲームを支配していたのは日本。
何度もゴールに迫って、2桁ものセットプレーがあって、観てて楽しいサッカーをしてて、
"いけるんじゃないか"
って思った。
南野のゴールに、1人拳振り回して叫んだ。
相次ぐ攻撃に、勝てると確信さえした。
そしてPKを決められ、
まるで世界の時間軸に僕だけが取り残されているかのように、
瞬く間に残り時間が減っていった。
gradually,
残り5分、
残り3分、1分、、、、、、
じっとしてられなくて、テレビに向かって乗り出しながらソファーに座り、足をゆすり、
最後まで願った。
最後まで、ホイッスルが鳴るまで、勝利を諦めない自分がいた。
そして今日のホイッスルはとても無機質で、悲しげで、まるで誰にも聞かれたくないかなような音を発していた。
その時に感じた感情。
喪失感
残念
悔しさ
失望
僕の中でこの感情とともに浮かぶイメージは、黒いつぶてに体の中の、胃と心臓の間らへんを突き刺されたような像。
確かに喪失感は強いかもしれない。
信じていた優勝がこぼれ落ちていったこと。
残念だっていう思いももちろんある。
正直失望もある。
ただ、僕がまたある言葉の中から、今のかな感情を、最も表している言葉をつけるなら、
それはきっと、
"後悔"
という言葉になるだろう。
あそこでああしていたら、
あれがなかったら、
たらればの世界。
やっぱりサッカーってすごい。
こんなにも、自分事のように感情を動かせるのか。
いやむしろ、自分の生活の中にはないほど、感情を揺さぶられる。
自分が主語では決してない中で、
それでも悔しさを感じるなんて、
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きっと、ピッチ上にいた選手たちには、
ありがとうと、感謝するべきなんだろう。
これほどの勝負を見せてくれて、
これほど感情が揺れ動く瞬間を作り出してくれて、
これほど戦う機会を与えてくれて、
サポーターって、一緒に戦っているんだなあと、改めて思った。
喜怒哀楽をともにして。
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自分が試合後感じたあの感情は、多分厳密には後悔とは異なるものだろう。
なにせ、何をどう後悔しているのか、その具体があまりはっきりしないから。
あくまで試合そのものに作用できるのはプレイヤーたちで、僕らではないというのもまた、事実ではあるだろう。
しかし、僕が感じたあの感情が、僕の心に与える変化や、その感情が身にまとっていた雰囲気は、"後悔"という言葉、もしくは"後悔"という事情が僕に与えるものに、間違いなく近かった。
後悔は、望ましくない結果が伴った際、もっとこれをしておけばよかった、って、過去を悔やむ感情。
そう考えた時に、
僕が試合後感じたものは、
望ましくない結果が出た。
その中で、自分が試合というものに対して、
何も作用を及ぼせないのだという無力感や、
それにもかかわらず自分が戦っているかのように喜怒哀楽を感じているという事実がある。
この無力感と自分ごとである様の中の矛盾とか、不一致だとか、
それが現れている感情なのかなと思う。
自分が実際に戦えない最前線で、自分が望む結果を背負ってくれている人たちに、ある種一方的に、自分の望みを託している。
そんな状況のが作り出す後悔が多分今日自分が感じた感情。
それがサポーターなんやなぁとも。
じゃあ、これを意識した上で自分はどうなっていくのか。
最前線では戦えないけど、一方的に望みを託す立場からは出られる。
そこから脱して、目標を共有できる立場に立ってサポーターたれるなら、
きっと僕の人生おもろいやろな。
その道探る。