ノー睡眠

今日は全く眠れなかった

 

疲れて疲れて仕方がないはずなのに

いつものように

どれだけ横になっていても

遂に眠りは訪れなかった

 

眠れない日が増えてきているから

生活習慣を改善していかないと.

 

幸か不幸か

徹夜をすることになってしまったので

折角だからと

今日は夜明け前からジムに行くことにした

 

とても涼しくて心地よく

ずっとこの季節が続けばいいのにと思うくらい

 

毎日猛暑が続いているけど

案外秋は近づいているのかもしれない.

 

 

8月はただただ暑く

生きるだけで気力を奪われるようなひと月で

残念ながら自分自身も同じように

生活のリズムを失ってしまったような気がする.

 

 

眠れない日が増えたり

起きられない日が増えたり

食事をする気力が湧かなかったり

 

思い描く健康的で自律的な生活とは違う

堕落した日々を過ごしてしまった

 

思えばお盆休みのリズムから

なかなか立て直せなかった.

 

 

ただその中でも

唯一プログラミング学習を継続できたことは評価してもいいかもしれない

 

大した時間を避けたわけではないけれど

2ヶ月間のコースを

ひとまずある程度楽しいままに

完了することができた.

 

だからこそ

9月はこの習慣をいかに継続できるかだ

 

そして生活習慣を正す

 

最近あっという間にひと月が過ぎ去ってしまうから

ひとまずこれだけを念頭に置いて

心身共に健全な1ヶ月を送りたい.

 

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猛暑

今年の夏はとにかく暑い

 

今日の昼間なんて

全く熱風を浴びているみたいだった

 

夏真っ盛りの7月末に

一旦1ヶ月を振り返っておこう.

 

 

今月もまた

特に何かが進んだ気がしなくて

疲れたような気持ちがしていたけれど

 

日記やノートを見返してみると

色々と気づきもあったようだし

楽しいことも中々に多かった

 

 

家族でサッカー観戦をしたり

沢山の同輩たちとご飯に行ったり

 

プログラミングの講座にも通い始めたし

今の仕事での役割に自分の成長を感じる瞬間も何度かあった

 

素晴らしい1ヶ月ではないかと思う

 

もともと志していた

新しい人間関係に飛び込むという観点においては

合格点を出すことはできないけれど

 

新しいことにチャレンジている訳だし

よくよく考えてみれば

実りのある楽しく過ごせた1ヶ月だったはずだ.

 

 

そう考えてみると

今こうしてなんとなく気だるさというか

つまらなさというか

 

そのようなものを感じていることに対して

どうしても危機感を覚える

 

例えば週末に

楽しいことが待っているとすると

 

週末に心置きなく楽しむぞと思って

日々の仕事も頑張れるし

なんだか充実しているような気がする.

 

 

けれど楽しいことがあった次の日からは

またいつもと同じように

なんとなく日々につまらなさを感じてしまう

 

 

幸せを持続させられていない.

 

楽しいことが沢山あるのに

つまらない人生のように思えてしまうのは

なんというか

罪深いことのように思える

 

自分で自分の不幸せを肯定しているようでもあるし

次から次へと幸せを消費しなくては生きられない存在になっている

 

人は元来そういうものなのかもしれないけれど

それは損な考え方だ.

 

 

日々幸せを感じたことを書き留めて

人生が豊かなものであると自分を信じられるようにしていかなければ

 

高望みをせず

欲深くならずに.

 

幸せな出来事を待ち望むだけではなく

幸せな記憶を楽しむことができるように

 

紋切り型の振り返りではなくて

自分を元気付けるための振り返りなのだということを身に刻むようにして

 

このくそ暑い2022年の猛暑を生き抜きたい.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小雨

昨日までは

おかしくなりそうなくらい暑かったけれど

少し雨も降り

比較的快適な気温

 

夏になって気がついたことだが

どうやら換気がし辛い家らしい

 

外に出てみて

意外と涼しいことに驚くこともしばしば

 

熱くてジメジメしているからこそ

ふらっと外出するようにしよう.

 

今日は7月3日

6月は既に終了ということで

少しだけ1ヶ月を振り返り.

 

先月は

新しいことに挑戦しようと決めることができた

 

何をするのかはまだ決めきれていないけれど

これまでの暇を持て余す日々を抜け出して

人と関わり

何かを身につけられたらいいなと思ったから

 

いろんな体験会に行ってみたり

人の話を聞いてみたりと

 

珍しく行動の多い1ヶ月であった.

 

 

自分の中でずっと課題となっているのが

人との関わりがあまりに少なすぎるということ

 

仕事はほとんどリモートで済んでしまうし

特にアウトドアな性格でもない

 

移動を続け

人と出会うことによって

人生は形作られてゆく

 

その言葉を真なりと

心に抱いているにも関わらず

 

それを実践するためには

多大な勇気が必要らしい.

 

1年半前に大学を出て

半年前にも引っ越しをして

 

思えばこの1年半で

自分が生きる環境や社会的関係が

あっさりとリフレッシュされてしまったのかもしれない.

 

何かから出て

何かに入ることを移動と名づけるのであれば

 

自分は大学を抜け出てから

入り込む場所を見つけられていないということだろう.

 

時たま例え家の中に居たとしても

どこにも自分の居場所がないような気がしてしまう

 

それはきっと入る先を見つけられてないことの証左.

 

焦る必要はないけれど

そろそろ歩みを自ら進めなくては.

 

長い将来自分が何をしているかなんて

全く想像がつかないけど

 

明日や来週や来月や来年に

自分がどこで何をしていたいのか

それくらいは頭で考えることができるはず

 

そのために実際的な動きを行い

少しだけでも未来を見据えて時間を過ごす

 

それが大切なのではないだろうか.

 

 

 

 

 

文脈と再構築

ここのところ

脱リュックサックを進めていたけれど

 

この2日間

リュックを背負って歩き回っていて

背中と首が痛くて仕方ない

 

姿勢を良くするために

整体に通い始めたはよいものの

 

普段から

荷物をできる限り軽くして

行動できるようにならないといけない

 

アフガニスタンでの経験が

私を身軽な旅ができる人にしてくれた

ドクターワトスンが述べているように.

 

 

今月は3つのミュージカルを

劇場で観劇する幸運に恵まれた

 

劇場にでも出かけなければ

まるで引きこもりのような生活だったから

 

反対にいえばミュージカルは

自分が家を出るに十分な動機となる娯楽なのだということだろう.

 

クロスに囲まれたたったひと部屋

必要性を後から後から引っ付けたような空間を出たその先には

 

20世紀ロンドンの普通の家族の日常や

怪しい19世紀のパリオペラ座

世紀末のニューヨークの芸術家たちの現実が広がっていて

自らの

想像力の棲家を拡張してくれる.

 

 

舞台を観ているとよく考える

 

果たして自分の生活とは

一体何だというのだろう

 

確固たる意志もなく

反逆すべき重圧もなく 

苦楽を共にする仲間もなく

 

気がつけば

ただ時が流れているのを眺めている.

 

舞台の上の人々は

必ず何かに反抗しているように思う

 

男性らしさを押し付ける父親や

日々身を蝕む後天性免疫不全症候群

幼い頃の厳格な躾や

美しさと愛されることを奪い去る他者

 

そうした外圧に

苦しみ争い生き抜くことを通じて

彼らは自己を確立し

そして未来に歩みを進める.

 

外圧に屈することなく

自分らしく生きること

 

恐らくこれは舞台の上の話ばかりではなくて

我々若者が

幼い頃より受けてきた呪いのようなものだ.

 

 

あまりに簡単に自己と他者を識別し

外敵を定義できるプロタゴニストたちを観ると

 

感動を伴って心に染み入った問いかけが

裏腹に

まるで行き先を見つけられず

ただ血管をぐるぐると巡り続けているような思いになる.

 

共感した理想像を保持したまま
抽象的なメッセージを咀嚼し
自らの人生の文脈における反逆が

何を意味するのかを解釈すること

鑑賞における感性のあり方は

ただ感動して涙を流したり

ただ怒りを共にすることだけを指すのではなく

 

フィクションは

畢竟抽象的な理想郷でしかないものを

新しい文脈に対して

再構築する態度と能力を指すのではないか.

 

 

全ての作品を

等しく崇め奉ることは

 

マスプロダクションに反抗し

芸術の在り方を探究し続けた

オフのクリエイターに対する冒涜でもあろうし

 

一方で

多くの人と時間と金を費やした作品にも

払うべき敬意が存在する筈.

 

イデオロギーの波の中で

肯定される他者と否定される少数者がいる

 

どんな時代になったとしても

この構図だけは変わらない

 

まずはその波の中に自らを見つめて

自分が突き詰めたいものと

自分が反逆したいものを見極めること

 

鑑賞体験を

自らの人生という文脈に再構築すること

 

そうやって考えることを止めることなく

少しは生活ができるとまた

少しはより善い生活につながるのではと信じてみる.

 

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バスケ

5月の訪れ

全く暑かったり寒かったり

難しい季節になった

 

きっとこれからは雨の日も増え

一層鬱々と探すことになるのだろう

 

地震も増えて

心配だ.

 

この連休で

身も心もだらけ切ってしまったとはいえ

 

決心を新たにした4月は

まぁそんなに悪いことばかりでもなかったのではないかと思う

 

少しずつ

必要なことを勉強する時間は増えているし

 

新しい同僚もできて

少しだけだけど

何かしらの輪に飛び込む機会もあった

 

まだまだ新しいグループに入った時に

快適に感じることなんてできないけど

機会を取れたことは

ひとつ進歩と言ってよい.

 

 

4月はふたつ

素敵な作品を鑑賞した

 

Kinky Bootsはウエストエンド公演を映像で

Next to Normalは日本公演を舞台で

それぞれ役者さんが生き生きしていて

何よりミュージカルという芸術として

完成されているように思えた.

 

 

ふたつの作品を鑑賞している中で突然

やってみたいと思うことに

時間を割くべきだと思うようになった

 

大層なことではなくて

あんな風に綺麗にピアノを弾けたらいいなとか

休日にサッカーをプレイできたらいいなとか

 

たったそんなことだけれど

それがとても大切なことなのだと

感じるようになってきた.

 

ひとつには

それぞれの作品から受け取ったメッセージに起因する思いなのだろうし

あるいは舞台の上の生活に

何かしら憧れさせるものがあったからだろう.

 

 

日々の生活には

あまりに変化がなさすぎる

 

そして変化がないことに

心が満ちる生活でもない.

 

祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

 

この世に変化しないものなどなくて

だからこそ変化がないと感じてしまう生活は

どこか違和感を離れられない

 

それはまるで

いつも乗り物に酔っているみたいなものだ.

 

 

4月は何度かstrangerとなるような経験があって

その時にも感じたことだけれど

 

自分はあまりにも

周囲の目線を意識しすぎているのだと思う

 

映画館や劇場や歯医者で

気が散ってゴソゴソしてしまう

 

そんなふうに.

 

 

人の目線を気にせずに

我が道を進むこと

 

それはまるでそれ自体が

美徳であるかのように語られてきたけれど

 

遂行することは簡単じゃない.

 

 

例えばバスケットボールをプレイする

コミュニティがあったとして

 

何かしらの縁があって

名前も知らない人たちの

輪の中に入ることになったとする

 

その時

自分はバスケなんて全然したことないけれど

思うままにプレイしてやろうと思える人であれたらいいなと思うけれど

自分はどうしても

仲間の邪魔をしないことばかり考えてしまって

ディフェンスやパスばかりしているに違いない.

 

どこで培われたのかはわからないけれど

そのメンタリティが自分なのだ

 

バスケットボールに限らず

社会的なあらゆる関係性やグループにおいて

この性質は発揮されてしまう

 

そしてそれはただ単に

損じゃあないかと思うから

 

できればなんとかしていきたい.

 

どんな時でもこれが自分だと

そう言い切れるような自我があればよいのだろうか

 

 

実際のところ

人は別に自分のことなど気にしていない

 

それは単純に真実だと思う

 

それを心に留めたところで

行動をなかなか変えられないのが問題なのだが.

 

 

自分の心で考えているだけでは

堂々巡りをするだけだから

 

今月も

新しい関係性に触れる機会を増やして

そうやって思えるようにしていかないと

 

自分は自分

他人は他人だと

 

割り切れるようになりたいものだ

 

 

 

 

 

 

周囲を気にしすぎるていること

 

 

云々等々

公園の桜

引っ越しのトラック

小さな虫

 

辺りはすっかり春となり

新生活という言葉に頻繁に出会う季節になった

 

そんな実感はまるでないけれど

自分も社会人となってから

はや1年が経過して

 

また少しずつ

変化を作り出していかねばならぬと思う今日この頃

 

自分が何を考えているのかを知るためにも

ここにひとつ

思うことを書き連ねてみよう.

 

 

この1か月ほどは

どちらかというと気分が沈みがちなことの多い日々だった

 

何というか

単純に

嫌な気持ちになることが多い

 

ひとつ

大きな戦争が始まって

それに対して一体どのように心や体を反応させれば良いのか

いまだに全くわからない

 

募金を行ったことの他には

ただ流れてくるニュースを耳にして

気持ちが塞ぎ込んでしまうだけ.

 

そのニュースにしてもまた

なぜこんなにも

嫌な気持ちになる話題ばかりが流されるのだろう

 

誰かが誰かに殺されただとか

居眠りをする政治家のインタビューだとか

公共の場所に

吸い殻を大量に捨てていく喫煙者の問題だとか

 

楽しい気持ちになれる話題はないのだろうか.

 

社会に発生している事実を知ることは大切だ

だけどその全てを受け止めようとしていては

きっと心を病んでしまう

 

人間は結局

チンパンジーや猿やゴリラやボノボの仲間であって

縄文時代の暮らしみたいに

数十人の限られた人たちと

社会関係を築いて生活するものなのではないだろうか

 

きっと現代のように

何万人何百万人何億人と

情報を共有して生きるようにはできていない

 

そんなことを思う.

 

それは少なくとも自分には

この世の真理のように思える.

 

だからこそ

自分が受け入れられるだけの情報を

得るような暮らしに変えていかなければならない

 

ソーシャルメディアを制限したり

親しい人と会う機会を増やして

そうした生活を志向しながら生きていこう

 

その都度より善い暮らしを

問い続けることを止めることなく.

云々.

 

話を変える.

 

4月

新生活

社会人としての2年目

 

1年を振り返ってみると

1番に感じられたのは危機感

 

ぼんやりと過ごしていたら

あっという間に一生が終わってしまうという危機感

 

よくよく考えてみると

年度初めにぼんやり立てた

数字の目標は達成している

 

だがどんな一年が待ち受けているのかを

知らないうちに建てた目標を達成していても

あまり誇れることではないだろう.

 

感覚として

何かに対して必死で取り組んだとか

確かな何かを身につけたとか

そうした達成感がない

 

すべき事をこなすために

最低限のことは行って

それによって大体のことが無事に終わっている

 

でもそこに感情的な盛り上がりはなくて

かつ自分で確と定めた使命が無いから

実際もっと上手く使えた時間は沢山あったし

何より充実している実感はない.

 

それこそまた

同じ問いに戻ってくる

 

幸せとは何だろう

より善い生活とは何だろう.

 

 

周囲からの刺激

これは自分に絶対的に不足しているものであり

不足してある事をもう1年以上も知っているにもかかわらず

解決するための行動を起こす勇気と気力を持てないでいることでもある.

 

やっぱりこれだろうな

これを自ら求めることができるようになるために

頭を絞らなければならない.

 

 

顔も知らない人たち数100万人ではなくて

親しく関係を築けるひとりふたり数人十数人

 

そんな関係性を

創り出す努力をしないと

 

そしてそのためには

対価を支払う覚悟をしなければ

 

自分にとって

何が対価であるのか

今はそれすらもわからないけれど

 

少しずつ

周囲の人との対話を作り

少しずつ

自分が心を開ける人たちとの輪を作る

 

遠くのことばかりを見ようとすると

たくさん嫌なことが聞こえてきて

心が疲れてしまうから

 

そうして20代としての発達課題を踏み越えて

大人になっていきたいものだ.

 

等々.

 

まとまらない思考でも

どこかに書き留める機会は増やすこと..

 

 

 

 

 

 

 

かじかむ足先

寒い夜

低い太陽

かじかむ足先

 

未だ冬

とはいえ1月もそろそろ終わり

 

そう思うと

なかなか悠長には居られないなと思う

 

全く驚くべきほど

1ヶ月が短く感じられるようになってしまった

 

新年の始まりを見届けたばかりだというのに.

 

 

これだけ1ヶ月が縮こまってくると

先月書いたことも

大凡覚えているようで

 

今日はそちらを少し振り返りつつ

1ヶ月の切れ目としておこう.

 

 

1月にこれからの日々への覚書として

いくつかのポジティブな指標を記した

 

表現機会を増やすこと

資格を取ること

サードプレイスを見つけること

 

どれも1ヶ月ぽっちで

叶えられるようなものではないけれど

 

少なくとも来る数ヶ月を生きる指標として

そういうものを持っていたかった.

 

 

それらを胸にこのひと月を思い返してみれば

昨年憂えた以上に

てんやわんやの日々だったから

 

余り具体的な行動を

起こすことはできていない.

 

駆け込み乗車のような年末の日々から始まって

新年の新しい生活に慣れるまで

たくさんの時間がかかってしまった

 

忙しさにかまけて

結局特にブログも書けず

 

余り気負わず何かを文章にしようと思うけれど

最初の一語に踏み出せなかった.

 

 

いつもの規則整った日々を

取り戻すことに時間がかかって

なかなか新しい居場所を探す余力もなく

 

がっつり勉強するための集中力や時間もなく.

 

 

そんな間に

あっという間に終わってしまったような.

 

 

しかし悲観しすぎることはないと思う

 

ここ最近は

なんとか生活を加速化することができてきたし

少し勉強する為に机に座ることも始められている

 

今日はゆったり散歩もしたし

もう少しかな.

 

 

先週はじっくりと小説を読む時間も作れて

たしかに感情が動かされた

 

モヤモヤとした焦燥を心に抱くこともできた.

 

その焦燥はいつかどこかで言葉にするとして

 

余り急ぎすぎることはない

ただ着実に前に進んでいればよい

 

そんな余裕のあるマッチョな心を保ちたい.

 

 

2月になったからといって

特に何か新しいことを始めることはない

 

ただ年初によく考えて

大切だと思ったいくつかのことを

 

せっかく落ち着いてきたこの日々で

少しずつ実行していくのみ.

 

 

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