1月は、変化を予感させる時間なのだろうか。
新年を機に装い新たに、少しばかり輝かしい未来を描く人々。
そんな気分に年度末の影がちらつく頃合いなのだから、
それはそれは、人々が新たな一歩を踏み出したくもなるのだろう。
僕は新年度より、
新しい環境に身を投じることにした。
それはまた、今の環境を去ることをも意味している。
少しずつ、当たり前が当たり前じゃなくなっていく。
水曜夜、欠かす事なく通い続けたいつもの集いがもはやないのだとするならば、
果たしてどんな心持ちがするのであろうか。
今はまだ、実感というものも湧いては来ないのだけれど、
実際最後の瞬間を想像してみると、一体何を思うのだろうかなと、しんみりとなってしまう。
今はまだ、最後の時にはこれをしたいなとか、これをしてやろうとか、
尚最後の最後まで好き勝手やる様を想像したりして、
少年心も働いているようなのだけれど、
その時が来れば、果たして。
とにかく、去る事は決まっていて、それが目前にまで迫ってきているという事なのだ。
3年間過ごし続けてきたルーティーンは今にも失われようとしている。
暴風警報で休校になった日の昼間みたいに、
手持ち無沙汰な気持ちを、暫くは持ち続けることになるに違いない。
ただ、去りゆくものの嗜みとして。
ノスタルジーと観覧者の視点から紡ぎ出される、あの独特の老婆語りで語る自分には嫌悪を覚える。
自分から、自分の存在を遠ざけている。
もう既に、存在を亡きものにしようとしている。
まだ己は現役ぞ。
僕は最後の最後まで、好き勝手に閃いて、皆を掻き乱していく.
そんな悪友集団みたいな過ごし方をただ貫きたいのだ。