スーパーマリオとカイジ

こんばんは、森川です。

 

ハリポタファンです。

 

いつでも観れるわーと思っていたファンタスティックビースト2がいつの間にやら明々後日に公開終了のようで、急遽明日午前に映画観に行くことにしました。

 

ちなみに1もまだ観てないので、iTunesでレンタルして現在視聴中です。

 

もうおもろい。

 

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さあ、今日は表題の通り、

スーパーマリオタイプとカイジタイプについて。

 

今日同じ団体に所属している仲間と話していてすごく得心がいった話です。

 

人には2つのタイプがある。

もっと正確に言うと、大抵の人間はこの2つに分けられるっていうタイプが2つある。

 

それがスーパーマリオタイプカイジタイプ

 

それらをまとめてみる。

 

スーパーマリオタイプは何が感情の変化を感じた時、一旦立ち止まってもくよくよ考えず、"まあ次行くか"って思える人。

例えば、何か落ち込むことがあった時、落ち込むっていう感情は感じるけど、それ以上深く考え込むこと(自責や他責に移すこと)まではしない。ただ落ち込むだけで、その気落ちが過ぎれば次行くかって思える。

 

対してカイジタイプは、大きな感情の揺れを感じた時に、それを深く考え、自責と他責の中に沈み込んでいく人。その中で、自責て落ち込む、もしくは他責して他者に感情をぶつける人。

何かがあったとき、自分の悪いところや責められるべき点、他人に責めるべき点などが頭の中で交錯する。感情や論理がごちゃまぜになって、自分に深く落ち込むか、人にムカつきなどの感情を当ててしまう。

 

 

僕は、スーパーマリオタイプです。

 

何かが起こったとき、自分の中で考えなければならない事象に出会ったとき、落ち込むことはあるけど、真に自責・他責するわけではない。

 

結局原因を突き止めるとか、それに対して何か改善行動を起こす前に、いつのまにか落ち込んでる気持ちがどこかへ行っていて、まあいっかってなってしまう。

 

 

どれだけ長い時間を一緒に過ごしていても、このタイプが違うと真に相手の苦しみを理解するかが難しい。

 

スーパーマリオタイプはカイジタイプの苦しみを常に感じているわけではないので、それをなかなか理解できない。

 

 

(今までどうしても相手が何故辛そうなのか、理解しきれないことがあった。それはきっと根本的にはここから生じていたのだろう。)

 

 

これらの違いはどこから生まれるのか。

 

それはそれぞれのベースとなっているエネルギーです。

 

スーパーマリオタイプはプラスのエネルギーで動く。

 

こうなりたいとか、こうしたい、とか。

 

僕の場合も、こうなりたいとか、こうなったらみんなに賞賛されるだろうなとか。

 

対して、カイジタイプはマイナスエネルギーで動く。

つまり、自分の周りの嫌なものを消そうとするエネルギー。

自分の家族関係や、その他の人間関係から生じる欠乏感や、都市と地方の教育格差の実感、そのほかいわゆる負の原体験と呼ばれるようなものです。

 

 

2つのエネルギーを比較した時に、何かを求めるエネルギーよりも、何かを消そう、壊そうとするエネルギーの方がより大変。

 

だからこそ、このマイナスエネルギーで動いている人たち、つまりカイジタイプの人の方が、成長幅は大きい。

 

自分の人生を通して影響を与え続けるような原体験を持ち続け、壊すことを試み、苦しみながら生きているわけだから。

 

歴史上の偉大な人物たちも、こちらに属するのではないか。

社会変革を起こしたり、既存の価値観を否定したりした人たち。

 

 

 

人と関わるとき、どちらのタイプなのかを(もしくはどちらにも属さないのかを)見極めなければ。

 

 

もし深く関わって、その中で、その人がずっと一生持ち続けているような原体験が見つかったのなら、その人はおそらくカイジタイプ。

 

しかしそれを見つけるのは簡単ではない。

 

その人について知って知って知る中で、ようやくその片鱗が見えてくる。

それまでずっと向き合い続けなければ。

 

 

 

ちなみに少し僕の話をすると、

自分は明らかにスーパーマリオタイプ、明らかに。

しかし、大きな成長を遂げ、大きなことを成し遂げているのはカイジタイプ。

だから、知らず知らずのうちに、自分はこのタイプになることを求めていて、そのためにネパールにも行った。

しかし、そこに矛盾がある状態では自分自身と調和した生き方はできない。

 

 

自分はどのタイプなのか、自分を知り、そしてその自分を認めた上で、その生き方の中で自身の可能性の中を生きること。

 

それが自分らしい生き方をするために必要なのかなと。

 

 

そして、人と関わるとき、どちらのタイプなのか、対話に対話を重ねて明らかにしてあげること。

 

そして、その人に合った人と、その人が生き方を描けるようにすること。

 

それが大切だなと思います。

 

 

スーパーマリオタイプの僕にとっては、

カイジタイプの人の深層の理解は難しい。

それでも自分だけではなく、色々な人たちと協力する中で、みんなが生き方をデザインできるように。

 

 

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