適切な孤独感

今日は久々に

当てのないぶらりひとり電車旅をした

 

乗ったことのない電車に乗って

何となく良さげに思った駅で降りてみる

 

大概は何をするでもない

駅の周りを散歩したり

カフェに入って本を読んだり

 

以前はよくやったものだったけれど

毎度何を為すでもなく

ただ結論なく過ごす時間を

無意味に感じてしまうこともしばしば

 

 

引っ越しをしてからは

便利ゆえ

何となく家の周りで世界が完結するようになってしまって

こんな風にちょっと遠出もすることも

殆どなくなってしまっていた.

 

 

それでいて

変わり映えのない風景に

飽き飽きしていたのは不思議だ

 

何だか何かに縛られてしまっていたかのよう.

 

 

昼間の河川敷はまだまだ暑かった

歩いているだけで汗が止まらない

 

だけど夕方になってみると

半袖では寒いくらいの秋の空

 

空気も乾いてきたようだ.

 

 

こうして一人旅と称して

 

誰と触れ合うでもなく

ただ夕日を背に歩いていると

 

独特の懐かしい気持ちが湧いてくる

 

まるで世界には

自分の居場所なんてどこにもないかのような

 

寂しさであり悲しさ

 

これを孤独感と言うのだろう.

 

 

よくよく考えてみれば

普段の自分を取り巻く環境も

この見知らぬ地と対して相違ない

 

知り合いもおらず

確たる居場所もなく

ただ自宅があって長い時間居るというだけ

 

それでも一度慣れてしまえば

疑問を提示されているような

この孤独感は得られない.

 

 

久方ぶりに味わった

自分の属する場所など世界のどこにもないかのような孤独感は

 

それでも尚どこか気持ちよく

書き残しておかなければという気持ちを起こさせた.

 

 

芸術に必要なのは孤独感だと

言った人がいたはずだけれど

 

芸術如何に関わらず

適切な孤独を感じられることは

案外大切なことなのかもしれない

 

 

適切な孤独感はいつも

自分を省みる契機となるし

表現しなければならないという

脅迫的な観念を持ち込んでくる

 

 

だからこそ

うまく昇華する時間と手立てがある限り

それは敢えて否定するものではない.

 

 

同じところに居続けて

いつのまにか縛りつけられてしまうことのないように

ふらりと電車に乗ることを

たまの息抜きとしていよう.

 

 

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